「うんざりがに」を流行らせたい
「うんざりがに」という言葉を流行らせようとしているが、どうも流行りそうにない。と嘆いたのは2003年のことだった。「うんざりがに普及運動」と題した9月1日の日記の中で。
うんざりがに普及運動
きっかけは、猛暑とわたしの弾丸トークのたたみかけに参った21年前の夫が、「もう、うんざりがに!」と悲鳴を上げたこと。
当時夫はオクラを「オクラホマミキサー」、ミョウガを「ミョウガン君」(という同級生がいたらしい)などと呼んでいたので、そのノリでダジャレが飛び出したのだろう。
「うんざり」と「ざりがに」が合わさって、「うんざりがに」。
気の抜けた響きが妙に気に入り、以来、嫌気が差すと、「うんざりがに」と言い合うようになった。
言うときには両手でVを作り、「ざりがに」のジェスチャーをつけた。いかにもやる気のないVサインはバカバカしく、脱力した笑いを誘った。
これは他人が見ても面白いのでは。
ひょっとしたら流行るのでは。
「うんざりがにを流行らせよう」と夫と盛り上がった。暑さのせいで、どうかしていたのかもしれない。
当時わたしは広告代理店でコピーライターをしていた。同僚のT嬢が「うんざりがに、かわいいー」と受けてくれたことに気を良くした。
うんざりがに、いける。
FMシアター『夢の波間』に出演された上杉祥三さんと西凜太郎さんに再会した際に披露したら、「大丈夫?」と心配された。
「あれ、おかしくないですか、うんざりがに?」
「おかしいのは今井さんですよ」
お二人に会うのは収録のときぶりで、まだ2回目だった。人間関係が確立されていない相手の前で「うんざりがに」を持ち出すのは危険だとわかり、ハサミをしまってあえなく退散した。
秋の訪れとともに「うんざりがに」熱も冷めていった。夫は深夜番組をぼけーっと見ながら、「ある日突然うんざりがにが流行語になってさ、あれ言い出したのはオレなんだよって自慢したいなあ」と夢を見続けていた。
沖縄からヤシガニが来た
その年のその頃、東京に大型地震が来ると噂されていた。
「誰か、流行らせてくれませんか」と他力本願でうんざりがに日記を締めくくった防災の日から2週間後、来るかもしれない地震に備え、資料と衣料がすでに地崩れを起こしているわが家を大掃除した。
ワイングラスやら香水瓶やら家中のあらゆるガラスを花瓶にしてしまっていたので、倒れないよう箱に入れたり紙袋に入れたり、間にプチプチを詰めたりし、牛乳パックはワイングラス梱包に便利だと発見した。テレビが凶器になると聞いたので、壁との隙間に座布団を詰め込んだ。
「気休め」とはよく言ったもので、何かしていると、安全に近づいているような錯覚を起こし、気持ちが落ち着いてくる。飲み水は買ったし、お風呂に水も張ったし、できることはやった。そこに沖縄出張から帰還した夫が「おみやげ」と差し出したのは、ガムテープをぐるぐる巻きにした虫かごのような箱だった。
「何これ?」と聞くと
「ヤシガニ」と夫は言った。
「ヤシガニ?」
「うん、生きてるよ」
「生きてる!?」
生き物を寿司折のノリで差し出さないでもらいたい。
なんでこんなときに面倒なもの買ってきたのとなじると、「酔っ払って、欲しくなっちゃった」とのこと。
大袈裟なカムテープをおそるおそるはがすと、中からガサゴソと音がした。ヤシガニがうごめく音だ。
「うわ、ほんとに生きてる!」
「ゆでて食うとうまいらしいけど、飼うっていう手もあるよ」
夫はペットにする気まんまんだった。
突如、ヤシガニを飼うことになった。
「ヤッシー」と名づけた。
30センチ立方大のプラスティックの衣装ケースに深さ3センチほど水を張り、ヤッシーを放流した。
ヤシガニ脱走にパニック
ところが、ネットで育て方を調べたところ、「間違ってもヤシガニを飼おうとは思ってはならぬ」と経験者が太字で忠告していた。想像を絶する怪力で金網さえも破るので、強固な小屋を作らなければ脱走されるとのこと。
「うちのヤッシーに限ってそんなことはないだろう」と勝手に決めつけたが、念のためダンボールとお盆2枚で蓋をした上に重しの電話帳を乗せ、ヤッシー小屋のあるダイニングのドアを閉めて寝た。実は結構警戒していた。
ヤッシーは一晩中ガサゴソ音を立てていたが、翌朝ダイニングは不穏なほど静まり返っていた。暴れまわって疲れたかなと小屋をのぞきこむと、なんと、中はもぬけの殻になっていた。
「ヤッシーが脱走した!」
「ええっ!」
夫が飛び起きた。
『ジュラシックパーク』の厨房シーンさながらの緊張が走る。夫と背中合わせになり、四方に目を光らせ、どこから飛び出すかわからないヤッシーに向かって投降を呼びかけた。
たかだか6畳ほどのダイニングの、一体どこに身を隠しているのか。沖縄ではゴミ箱を漁っているという噂なのでゴミ箱をひっくり返すが、いない。
と、棚の上にあったはずの箱が床に落ちている。
椰子の木に登って実を食べることからヤシガニの名がついているので棚登りも楽勝なのかもしれない。棚のふもとをのぞきこむと、いた。
ヤッシーは棚の後ろのすき間にうずくまっていた。棚の上から決死のダイブをはかったのだろうか。
こうなったらゆでてやる!
バーベキュー用の火箸を構えたが、必死の抵抗に遭い、捕獲は難航した。火箸で体をつかんだものの煮立った鍋まで持ち上げられず、鍋を床に下ろして、ひきずりこむ作戦に。命をいただくというのは戦いなのだ。
ついに、ヤッシーが鍋に納まった。
黒い猛獣と化していたヤッシーは数分後、きれいに赤く茹で上がり、おとなしくなった。すぐには食べる気になれず、冷蔵庫へ。
「いつの間にか生き返ってさ、ドア開けたら襲ってきたりしないかな。冷蔵庫の中、食料いっぱいだし」
と夫はホラー映画的妄想を繰り広げていた。
地震の恐怖は吹き飛んだが、「ヤシガニにはもう、うんざりがに」な目に遭った。
幻のアニメ「うんざりがに」
何年か後に東北新社主催の脚本コンクールがあり、確かシリーズアニメを募集していた。ここぞとばかりに「うんざりがに」を応募した。水槽で飼われているザリガニの一家が「うんざりがに」を連呼する、ゆるい話だった。
見事に落ちた。
あれから21年。脚本を掘り出そうとしてメール内検索をしたが、見つからなかった。プリントアウトして応募だったのだろうか。何代目かのパソコンに眠っているはず。うんざりがに、置き去りがに。
今なら受けるのでは。線画アニメにしたら和むのでは。癒やされるのでは。「うんざりがに」を言いたいだけの話。
絵本「わにのだんす」のファンたちが「わに」「わに」言いたくてホリベユカリさんにLINEスタンプをねだり、「わに」「わに」言うためだけにスタンプを押し合っているのを見ると、需要はある。
#うんざりがに
このnoteを公開するとき、すでに「#うんざりがに」 があって驚いた。
今のところ、このnoteを入れて3本。
いま加わったら、いつか古参を名乗れます!
で、うんざりがにのハッシュタグを作られた方のnoteに飛んでみると、なんと、うんざりがにの個展を開かれていた!
行きたかった。