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オセロのひっくり返る速さ─「世界から歌が消える前に」再放送

2021年のクリスマスの時期にNHK FMで放送された青春アドベンチャー「世界から歌が消える前に」が3年ぶりに再放送された。

1話15分、全5話。らじるらじるでの聴き逃し配信は放送から1週間。毎日1話ずつ消えていく。間に合う回からつかまえてほしい。聴き逃しが消える前に。


クリエイティビティとは?

「世界から歌が消える前に」はオリジナルドラマ。演出の山崎涼子さんが企画を通した後で、脚本開発の声をかけられた。山崎さんのプロットには「クリエイティビティはどこへ」とタイトルがついていた。ペイトン、ガブリエル、シャネン、エリオ、デゼール。主要人物の名前もついていた。

個性が必要とされなくなり、むしろ邪魔扱いされ、廃れていく未来を描きたいという企画意図を聞き、わたしが最初に考えたのはクリエイターが搾取され、押さえつけられ、萎縮していく世界だった。

クリエイターたちが贈り合う拍手が通貨になるという理想郷は大資本が才能を掠め取るための装置だった。著作権を取り上げられ、人間関係を分断されたクリエイターたちは、創作の自由を取り戻すために立ち上がる……という話。

すぐに脚本を書きたいくらい頭の中でキャラクターとストーリーが動きだしていたが、「クリエイティビティはどこへ」というより「クリエイターはどこへ」の話になっているのではという指摘があり、立ち止まった。

議論を重ね、「クリエイティビティとは?」を煮詰めた。

浮かび上がったのは「ひと」と「うた」だった。

料理だって歌だと気づいたとき、クリエイティビティが「解き放たれた世界」と「凍りついた世界」の境界が見えた。「歌が生まれる世界」と「歌が消える世界」。

「世界から歌が消える前に」のタイトルが浮かんだ。

みんなと同じなら間違えない

DP(デゼール・プロジェクト)のロゴが主張するトラックが行き交う、「世界から歌が消える前に」の世界。

「みんなと同じなら間違えない」のスローガンのもと、消費者の好みを知り尽くして作り出された安価な量産品が出回り、シェアを広げていく。

DPのおむつをはかされ、DPのミルクを飲まされ、DPの離乳食を食べされられ、DPがセレクトしたAI音楽を聴かされ、AIムービーを見せられて大きくなったDPチルドレンは、空を見上げて口ずさむペイトンを見て「人間も歌うの?」と珍しがる。

効率的、合理的に一つの方向へまとめ上げられていく大きなうねりに流されるうちに、感性は鈍り、個性は埋もれていく。「みんなと同じなら間違えない」という安心感は正義となり、やがて、そこから外れた存在を否定し、排除し、淘汰するようになる。

「みんなと同じ」は選択肢の一つだったのが、「みんなと同じ」しか選べない世の中になっていく。商品もサービスもエンタメも。思考も、やがては生き方さえも。

3年ぶりに聴いて感じた「怖さ」

「世界から歌が消える前に」の脚本を書いたのはコロナ禍の真っ只中だった。マスク、ワクチン、営業自粛、休業補償……あらゆるところに分断のきっかけがあった。

白と黒に分けること、分けられることに疲れた。正体不明のウイルスから始まった混乱。何が真実なのか、何が正解なのか。昨日までは白だったものが、今日になると黒になった。

マスクをつけるかどうかもオセロみたいだった。まわりがつけていたらつける、まわりが外していたら外す。顔面オセロ。顔色オセロ。

コロナ禍の息苦しさを脚本に込めた。「みんなと同じなら間違えない」世の中で、「みんなと違うことを楽しんでいる」人たちは「不純物」として妬まれ、疎まれ、潰されようとする。

あれから3年。コロナ禍は明けたとされるが、白と黒に分けようとする動きは可視化が進むことで、むしろ加速していると感じる。陰謀論の渦巻く強さも勢いを増している。「いつか訪れるかもしれない未来」の悪い予想に世の中が近づいている。

だから、同じ物語なのに、同じセリフなのに、響き方が違った。

何を信じていいかわからないという主人公たちの戸惑いと恐れは、より現実味を帯びていた。特に怖いと感じたのは、劇中で白と黒がひっくり返るスピードに現実が追いついていることだった。

脚本を教えるとき、「オセロを何回ひっくり返せるか」と言ったりする。先が読めない、メリハリのある展開は視聴者を飽きさせない。犯人だと思っていた人が消え、味方だと思っていた人が犯人になる。

オセロがひっくり返るスリルとサスペンスは、ドラマの中では歓迎される。「これはフィクションだよね」と思っていられるうちは。

けれど、3年の間にフィクションと現実の距離が縮まった。「世界から歌が消える前に」というタイトルは、世界から歌が消えることなんてあり得ない前提だから成立する。1話15分の間に起こる手のひら返しと同じような急展開が今、現実に起きている。

叩く側と叩かれる側があっさり入れ替わる。一斉にオセロの白と黒がひっくり返るように。徐々にではなく、グラデーションもなく、緩衝地帯もなく、急激で極端な逆転。天動説が地動説に取って変わられるまでにどれだけの時間かかり、どれだけの議論がつくされたかと考えると、ひっくり返るまでの寿命が短すぎる。

「みんなで作った流れ」に違和感を持つ

「世界から歌が消える前に」に登場する「流れるプール」の喩えは、コロナ禍の2020年4月にfacebookに書いたものだった。

小学校の頃だったか、「みんなで同じ方向に歩いて、流れるプールを作りましょう」というのをやった。最初は重かった水が、少しずつ軽くなり、スイスイ歩けるようになる。浮いてみると、スイーっと進む。逆向きに進もうとすると、押し戻される。「みんなで作った流れ」に身をまかせるほうが、流れを変えたり流れに抗ったりするより、ずっと楽なのだ。

このnoteを書くにあたり投稿を読み返したら、続きがあった。

みんなで作った流れよりすごいのが押し寄せて、前例を変えられないからと現状維持を続けてきたあれこれがガラガラっと変わった。

守るべきもの、立てるべきものの優先順位が変わったともいえる。

「みんなが作った流れ」は、コロナ禍に始まったことではなかった。その前からあり、それに身を任せたり抗ったりしていたのだ。その流れがコロナ禍以降、大きくなり、速くなり、抗いにくくなり、それでいて先が読めなくなっているように感じる。

再放送でわたしがハッとしたのは、「歌わない自由もある」という歌姫ペイトンのセリフだった。世界から歌が消えてほしくないと願うけれど、歌うことを正義にしない。

ハッとすると同時にホッとした。「沈黙もセリフ」だと先日登壇した創作ラジオドラマ大賞・公開講座で話した。沈黙がセリフならば、「歌わない」という表現も歌であり、そこに宿る意思と精神は尊重されるべきだ。

どっちかに分けようと線を引くのではなく、どっちも入れる輪を描けたら、デゼール・プロジェクトのある世界と歌のある世界は共存できるのではないか。その想像に、この3年でさらに進化した生成AIと人間の共存を重ねた。

答えを急がない。押しつけない。自分の色に染めようとしない。

「みんなと同じなら間違えない」の逆は、「みんなと違うのは間違っている」という拒絶ではなく、「自分と違うことを間違いにしない」という許容ではないか。

聴き逃し配信が消える前に

らじるらじるでの聴き逃し配信は放送から1週間。毎日1話ずつ消えていく。できれば第1話からつかまえてほしい。

第1話 11/19(月)21:45まで

第2話 11/20(火)21:45まで

第3話 11/21(水)21:45まで

第4話 11/22(木)21:45まで

第5話 11/23(金)21:45まで

【出演者】
井上小百合 入野自由 藤井隆 鈴木福 夏木マリ
長谷川悠大 橘未佐子 三好敦 福長輝篤
【作】今井雅子
【音楽】和田貴史
【スタッフ】
演出:山崎涼子
技術:山賀勉
音響効果:野村知成
【あらすじ】
近未来の世界のどこか。Dr.デゼールが考案した計画は、消費者の行動を分析し、画一的な商品で世界中を染め上げるというものだった。その思想は過激化し、自分を表現するための創作活動は、社会から否定されていた。大女優シャネンがオーナーのアーティストカフェ「バブルビーチ」に、100万人のフォロワーがいる歌い手のペイトン、料理人でラッパーのガブリエル、舞台役者のエリオたちが集い、自らが作った歌をデゼールの公式チャンネルに侵入して流すことで、人々の心にクリエイティビティを取り戻させようと計画する。果たして、歌の力で、世界の流れを変えられるのか!?エンターテイメント、スペクタクル感満載のドラマ。

放送時のNHKオーディオドラマ公式ページ番組紹介





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脚本家・今井雅子📻聴き逃し配信中「世界から歌が消える前に」📚11/30座・高円寺リーディングフェスタ
目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。