クレジットは「私が作りました」のしるし(出張いまいまさこカフェ2杯目)
2006年9月から5年にわたって季刊フリーペーパー「buku」に連載していたエッセイ「出張いまいまさこカフェ」の2杯目。
映画の本編が終わったとき、そこで席を立つ派? 最後まで見届ける派?
わたしは今も「見届ける派」。最近観た『ドライブ・マイ・カー』のクレジットも見届けた。
クレジットは「私が作りました」のしるし 今井雅子
映画が終わり、クレジットロールがせり上がり、場内が少し明るくなる。あなたはそこで席を立つ派だろうか、それとも最後まで見届ける派だろうか。
脚本家になる前から、わたしは見届ける派だった。クレジットは延々と続く名前の羅列でしかなかったけれど、そうすることが作り手への礼儀のように感じていた。映画作りに関わるようになってからは、知っている名前を見つける楽しみができた。
自分が関わった作品のクレジットは、特別に思い入れ深い。名前とともに一人ひとりの顔が目に浮かんで、感謝の気持ちと懐かしさがこみ上げる。
映画脚本デビュー作の『パコダテ人』は、この先いくつ作品を重ねることになっても、いちばん愛おしい作品であり続けると思うが、とくに心を揺さぶられるのがクレジットロールの「函館市民の皆さん」のところ。一行四人の名前が何十行も続き、一行ごとにわたしの涙腺をゆるませる。
これだけの人々が作品を支えてくれた幸せに、その厚意をクレジットに刻むことを決めたプロデューサーの優しさに、その名前をひとつひとつ確認したスタッフの根気に、何度見ても泣かされる。
クレジットロールといえば、ピクサー映画に出てくる「Production Babies」が気になっていた。「製作スタッフに生まれた子ども」という意味だろうかと調べてみたら、本当にそうらしい。毎作品かなりの数で、作品に携わる人の数と製作期間の長さを物語っているのだが、ピクサーらしい心憎さに感心する。子どもが大きくなったとき、親の作った作品に自分の名前が刻まれているのを見たら感激するだろう。わが子に見せたい作品という誇りもうかがえる。
クレジットは「私が作りました」のしるし。作り上げる苦労も送り出すプライドもその一行に込められる。脚本家の名前がクレジットロールから抜け落ちることは珍しいけれど、スペースが限られた宣伝物からは真っ先に削られやすい。ポスターや新聞広告に自分の名前が入っていないと、「あんたにはまだまだネームバリューがないよ」と言われた気持ちになる。
「今井雅子脚本」が売り文句になるようわたしも精進するけれど、観客の皆さんが「脚本家の名前を見て映画を選ぶ」ようになれば、脚本家の名前が外されることも減るかもしれない。でも、「今井雅子か。じゃあやめとこう」と逆効果になりませんように。
写真脚注)
これまでに手がけた作品の脚本。
あなたが観たものはありますか。