キャラメルのおまけと録音テープ
1984年、1985年に江崎グリコ、森永製菓など大手の食品会社を標的とした企業脅迫事件が阪神間を舞台に繰り広げられた。
この事件の犯人からの要求を伝える電話に子供の声が使われた従来の常識からは想定外の手口を使っていたので捜査も困難を極まり戦後最大の未解決事件となりました。
その頃、私の子供達も10才と8才でしたのでグリコや森永のお菓子をよく買っていました、しかし犯人から毒入りお菓子がばら撒かれたとの報道でスーパーの棚からお菓子が消えたことを覚えています。
塩田武士著「罪の声」は実際の事件を題材にしたフィクションですが、私はこの犯罪に巻き込まれた3人の子供達がこの事実を知った時の驚愕はいかばかりかと推察します。
父の代からのテーラーを営む曽根俊也は、入院中の母から頼まれたものを探している時ダンボールの中から黒革のノートと録音テープを見つけたのでついそのテープを聞いてしまった。自分の幼い頃の声が入っていたが内容はさっぱりわからなかった、ノートを開いて見るとぎっしり英文で書かれていたが、ギンガと萬堂と日本語で書かれている部分もあったがよくわからないので、検索サイトでワードを打ち込むと「ギン萬事件」と出てきた。
画面をスクロールする俊也の指が止まった。
ー被害企業との接触に女性や児童の声が入った録音テープを使用ー
恐喝に使用されたテープとして男児の声が流れた。
これは、自分の声だ。
俊也は亡き父の親友の堀田から叔父の柔道仲間であった生島秀樹の一家が神隠しにあったかのように突然消えたことと、当時中学3年生の長女と小学2年生の長男がいた事で、もしかすると後2人のテープの声の子供達ではないかと事の重大さに動揺を隠せなかった。
私は事件そのものより、悪事に加担し仲間割れで殺された生島の残された家族が哀れでたまりません、やはり2人の子を持つ母親として身につまされます。
犯人たちから逃れるため、親子3人は俊也の叔父の達雄と山下により当座の金を渡されて
ひとまず山下の愛人の家にかくまわれた。
長女の生島望(のぞみ)は将来映画の字幕翻訳家になる事が夢で英語の成績は抜群だったと当時の担任から聞かされた。
生島親子は転々と居場所を変えていたが、望は親友の天地幸子と連絡を取り続けていて1985年の7月下旬に大阪のギンガの看板の前で待ち合わせを約束していたが遂に現れなかった。3ヶ月経った頃、望の母親から望がキツネ目男に追いかけられて車にひかれて死んだと連絡があった。
建設会社の事務所が火事になった時、聡一郎は母親を見捨てて逃げた、広島、宮崎、岡山と逃げ廻った。俊也は彼が岡山の中華店で働いていた店主に会って、なんとか聡一郎に会わしてと頼み込んだ。
俊也は、同じ録音テープの子供達なのに自分は両親から愛されて育ち、仕事も妻子も持てる人生なのに望や聡一郎の事を思うと何とかしてやりたいと心底思っています。
そして今、はっきり言えることは子どもを犯罪に巻き込めば、その分、社会から希望が奪われる。「ギン萬事件」の罪とは、ある一家の子どもの人生を粉々にしたことだ。
最後に、特養老人ホームにいた母親に会う事ができた聡一郎は「お母ちゃん、ごめん、ごめん」と母の腕に顔を埋め、謝り続けたのです。
その時、母は握りしめていた巾着袋の中から小さな青いスポーツカーのおもちゃをとりだした。
「これ、ギンガのキャラメルのおまけなんです。」