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マーチングバンドを見て思うこと。

こんにちは。

昨日は、娘の幼稚園役員として「長崎県私学振興大会」というものに参加しました。

シガクシンコウタイカイ?ナニソレ!?感マックスで参加したのですが、長崎県の私学〜長崎県全域の私立の幼稚園〜高校の先生・保護者、県議員さん等が集い「私学盛り上がっていこーぜ!!」的な大会のようです。

前回の初note投稿で自己紹介の記事をアップしました。
次の記事は「今の活動をしている理由」を記事にしようと下書きしてるのですが、今回この大会に参加してとある想いが溢れ出して止まらないのでここで綴らせてください。


この振興大会で、オープニングアトラクションという名目で長崎市内のとある幼稚園の年長児約60名によるマーチングバンドが披露されました。
計4曲、約20分だったでしょうか。

某幼稚園の年長さんによるマーチングバンド

私ね、これを見て思うところがありまして涙が溢れてきましてね。
もうね、なんだか胸が苦しくなってしまって。
もちろん頑張る子ども達や指導されている先生方には拍手なんですけれどね。
たくさんの子ども達が、それぞれの役割を全うする姿を見て、この中にやりたくないのにやってる子はいないのかなぁとか。
本当は小太鼓が叩きたいけど、ポンポンの子はいないかな?もし太鼓がしたい子は、自由時間に太鼓を楽しめる時間はあるのかな?とか。
大太鼓やトリオ(3つの太鼓)を担ぎ、リズムを打ちながら隊形移動で歩いている子どもへの楽器の重さによる体への負担とか。
今日の13時のオープニングに向けて、何時に給食を食べてここに移動してきたんだろう?とか。
そもそも給食の後は、体をゆっくり休めているであろう時間帯にこの場に駆り出されてパフォーマンスをしている子ども達を見ていると、今日だけの特別な場所だと頭では分かっていても子どもファーストではない教育現場に何とも言えない切なさと申し訳なさで胸がいっぱいになりました。
(視点が屈折していてごめんなさいね)


私も保育士歴が長いので、行事前に目をギラつかせ子ども達と練習に励んでいた過去があります。

完成度が高いほど、保護者や上の立場の人に喜んでもらえると思っていたんですよね。
あの頃を振り返るとね、もう本当に申し訳なさでいっぱいで反省してもしきれません。

独身時代12年勤めた保育園を退職し、その後保育士ママとなり私の価値観や保育観はガラッと変わりました。幼児期って本当に貴重すぎる期間だと、出産〜育児を経てようやくわかったんですね。

私たちは軍隊を作っているわけじゃない。
ちょっと大袈裟かもしれないけれど、私は日本の「右にならえ」の教育が疑問でなりません。
今のびのびと遊び尽くさないで、いつ遊ぶのでしょうか?幼稚園・保育園は就学前の予備校ではないんです。

親を喜ばせるための行事でのパフォーマンスや早期教育は、私は必要ないと思ってます。
「心を一つに!」とか「最後までやり遂げる!」とか「我慢する力」とか「協調性」とか。
そういった事ももちろん大切だと思うんですけどね、それが過度なパフォーマンスであったり、遊ぶ時間を削ってまで学ぶ必要があるのかなと…。
それに、そういう機会って友だち日々の遊びや生活との中で全部学べると私は思っています。
遊びこそ学び。遊びは宝なんです。

だから今この時期に、腹いっぱい走り回って泥んこになって伸び伸び遊び、友だちと笑い合い時にケンカをする時間にこそ真の価値があって。
一人ひとりの想いを汲んで、愛されている実感を持ち個人として大切に扱ってもらえる事がどれだけ大切か。そう思ってなりません。
この土台が大切で、この先生きていく上で揺るがない物になると思っているので。

子どもファーストの社会。
子どもファーストの保育・教育現場。
各家庭で捉え方は違うのだろうけれども、子どもが子どもらしくのびのびとイキイキと過ごせる環境であって欲しいなと。

そういえば、約2年前に東京から長崎に引っ越してきた時に、娘の幼稚園選びでも私はすごく苦戦しました。
私が想い描く、子どもが子どもらしく過ごせる場所がなかなか見つからなくて。
そんな中で、私が園選びで重要視した点についてはまたの機会に…。

振興大会っなんだろ?というスタンスで参加した私でしたが子ども達のマーチングバンドから、子どもの幸せとか日本の教育体制とか、過去の私とかこれからの私とか、立ち止まり振り返り想いを馳せる機会となりました。

『子ども達みんな幸せであって欲しい。』
私が想うのはいつもこの一つです。
私にできる支援とは…。
私は歩み始めたばかり。
長い長い旅路となりそうです。

最後まで読んでくださった方、
どうもありがとうございました♡

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