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「ライオンの檻に入れられたウサギのよう…」まさかのJクラブのセレクション合格!【サッカーは僕の人生の教科書だった】#003

1995年、浦和スポーツクラブJr.ユース(現・浦和レッズ)でチームは日本一。しかし、メンバー外だった僕は悔しさしか残らなかった。10年後、全国クラブチームサッカー選手権で再び日本一の舞台へ。スタメンとしてその瞬間を迎えたとき、ようやく自分を認めてあげられる気がした。Jクラブの下部組織から30年、長い一瞬のなかで感じて、わかったことを言語化する。

今から30年前のことなので定かではないが、1993のJリーグ開幕に合わせて行われたセレクションの会場には、おそらく500以上は来ていたと思う。

小学6年生の僕の目には、会場いっぱいに人が溢れていた記憶がある。

当時の僕は、浦和スポーツクラブJrユース(現:浦和レッズ)のセレクションを受けていた。

とにかく周りの選手たちがうまく見えた。もちろん、実際にうまい選手はたくさんいたはず。

冬の寒い時期だったこともあり、早くからウォーミングアップをしている選手たち。

「あいつ絶対うまいじゃん……」

本当に自分が一番ヘタクソとしか思えてこなくて、緊張している自分に緊張している感じだった。

それでも時間は待ってくれず、基礎スキルのセレクションが始まった。

周りにいるクラブスタッフが、緊張している僕をさらに緊張させている。

正直言って、小さな少年団でサッカーをやっていた僕は、まともにサッカーを教えてもらったことがない。実績もなく、県大会すら出たことがなかった。

でも、来たからにはやるしかない!

紅白戦を見ても、一人ひとりのアピールする熱というか、情熱というか、パッションがすごく伝わる(全部同じやん!!)。

僕はアピールできるようなタイプじゃない。(セレクションに来ているんだからこれはダメ!)

他の選手のプレーに圧倒されていたし、自信もなかった。気持ち的には、ライオンの檻に入れられたウサギのように震えていた。

でも、フタを開けてみれば紅白戦で「2ゴール3アシスト」

アピールとしては十分な結果だと思う。スタッフたちへインパクトも残しただろう。

ただ、当日はこの結果がどうなるのか、自分には想像さえできなかった。とにかく結果を待つしかない。

わかっていることは、当日、セレクション会場に500人以上いて、自分が2ゴール3アシストしたことだけだ

数日後、セレクションの合否通知が届いた。

「合格!!」

いい意味で予想をはるかに超えていた。世の中がひっくり返るくらい信じられない瞬間だった!

あれから30年以上経っているが、今考えても自分がJクラブの下部組織の一人としてプレーしていたのは信じられない。それくらレベルが高いメンバー(仲間)がそろっていた。

しかし、本当に大変なのはここから。挫折や苦悩の3年間が待っていた…

基礎スキルはもちろんのこと、サッカーの理解力、情熱、コミュ力などの大切さを痛いほど学んだ貴重な時間だった。(今ではめちゃくちゃ感謝している)

#004につづく


僕が浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)のセレクションを受けるまでの話「95%が不合格!」500人集まった浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)のセレクション【サッカーは僕の人生の教科書だった】#002」も合わせて読んでみてください。


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