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「95%が不合格!」500人集まった浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)のセレクション【サッカーは僕の人生の教科書だった】#002
1995年、浦和スポーツクラブJr.ユース(現・浦和レッズ)でチームは日本一。しかし、メンバー外だった僕は悔しさしか残らなかった。10年後、全国クラブチームサッカー選手権で再び日本一の舞台へ。スタメンとしてその瞬間を迎えたとき、ようやく自分を認めてあげられる気がした。Jクラブの下部組織から30年、長い一瞬のなかで感じて、わかったことを言語化する。
僕が小学4年生のころ、父親が見つけてくれた地元のサッカー少年団に入団したのが、サッカーとの出会いだ。それまで、サッカーボールを蹴ったことは一度もなかった。
というより、本格的にスポーツをするのも初めてだった。
そんな僕でも、すぐにサッカーの魅力に引き込まれ、ボールを蹴るのが楽しくて、仲間たちと遊ぶ感覚で夢中になっていったのを覚えている。
時代は1992年。
父親から「日本に『Jリーグ』というプロサッカーリーグができる」と教えてもらった。
小学生の僕には、プロリーグができることで何が変わるのか、まったく想像もつかなかったし、当時の読売クラブや日産自動車の選手たちがプロなのか、セミプロなのかさえ知らなかった。
それはともかく、父親はJリーグ開幕に向けて各地で行われる、下部組織のセレクションに応募していた。
芸能人が業界に入ったきっかけを聞かれて「友達が勝手に応募してて…」
まさにそれと同じパターン(笑)
選抜にも入ったこともない僕に何か期待でもしたのだろうか。
当日、川のながれに身をまかせるように、親の車でセレクション会場に連れてこられた。
会場に到着した瞬間、異様な空気が全身に伝わってきた。
次男坊としてぬくぬく育った僕でも、その緊張感を五感で感じ取ることができた。それくらい、経験したことがない空気感だった。
プロサッカーチームの下部組織のセレクション会場には、おそらく500人ほどの同年代のサッカー少年たちがわんさか集まっていた。
ここにいる全員、自分よりうまく見える……
この時点でメンタル負けしているのが自分らしい。
500人以上いる中から合格するのは、おそらく20人そこらだろう。正直、僕はまったく自信がなかった。
これだけの人数が集まれば95%以上落とされる。
緊張して本来の力を出せなかった選手いるだろう。だけど、約500人集まっているんだから、ほとんどが落とされると考えれば、もっと気持ちが楽になったんだろうな。
#003へつづく
もし、お時間があれば『Jクラブの下部組織を経験した僕が30年サッカーを続けて感じたこと、わかったこと。【サッカーは僕の人生の教科書だった】#001』も読んでいただけると嬉しいです。