見出し画像

浦スポ(現:浦和レッズ)、リエゾン草津(現:ザスパ群馬)出身。30年サッカーを続けてわかったことは「人生のつながり」だった【サッカーは僕の人生の教科書だった】#001

1995年、浦和スポーツクラブJr.ユース(現・浦和レッズ)でチームは日本一。しかし、メンバー外だった僕は悔しさしか残らなかった。10年後、全国クラブチームサッカー選手権で再び日本一の舞台へ。スタメンとしてその瞬間を迎えたとき、ようやく自分を認めてあげられる気がした。Jクラブの下部組織から30年、長い一瞬のなかで感じて、わかったことを言語化する。

僕は1990年から現在(2024年)まで、実に30年以上、サッカーをやってきた、どこにでもいる「ただのサッカー小僧」。

これでサッカーを辞めるやめるわけじゃないけど、30年間サッカーをやってきたからこそ、感じたこともあり、気づいたこともある。

せっかく30年も続けてきたのだから、これを機にエピソードを通じて僕なりにまとめてみようと、突然やる気スイッチが入った。

挫折や努力、その先にある成長や仲間たちとの出会いなどから多くを学んできた。まさに、このマガジンのタイトルにもしている「サッカーは僕の人生の教科書」だった。

結論、浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)やリエゾン草津(現:ザスパ群馬)でサッカーを経験してきたのは、「人生のつながり」に過ぎなかった。

サッカーをやってきた先に、プロキャリアがあれば理想的だったけど、僕にはそれを叶えることができなかった……

だけど、サッカーは人生のすべてではない。

プロサッカー選手にはなれなかったけど、サッカーにとても感謝している。それは、サッカーを通じて多くの『出会い』や『学び』を得られたから!

すでに20年以上経った今でも、サッカーで出会った仲間たちと交流が続いている。

僕にとって、仲間たちは『。

そもそも、なぜ僕が30年もサッカーを続けてこれたのかというと……

「スポーツには人生を豊かにする力がある」

を、モロに体感できたからだと思う。この、体感という感動が、体の芯に染みわたり、もう忘れられなくなってしまっているからだろう。

決して自慢できるような輝かしいサッカー人生ではなかった。

だけど、30年という月日は、人生において誇らしい時間だったことは間違いない。

とくに、1993年~2005年の約12数間は、僕のサッカー人生の中でも濃密な経験がギュッと詰まっている。

正直、悔しさや挫折がほとんどだと思う。
だけど、最後には最高の瞬間と経験、最高の仲間が待っていた。

人間は、諦めず努力してやり続ければ、いつかどんな形であろうと報われる瞬間が来るんだって、10数年やってわかった

例えば、1995。高円宮杯でチームが日本一になったのに、僕はヘタクソすぎてメンバー外だった。でも、10年後の2005年には、自分も日本一の瞬間を味わうことができた。

10年間で経験した挫折と苦悩、努力を経て再び日本一の場所に立てたのは、仲間たちがいたからだ。これは間違いないし、これ以上の理由はない。

サッカーをやっている少年少女たちの中には、プロサッカー選手を目指している子たちもたくさんいると思う。当然、応援している親御さんもいる。

だけどもし、

プロになれない
夢をあきらめなければいけない

そんなときが訪れるかもしれない。そのときは、悔しくて涙が止まらないだろう。

でも、今まで歩んできた険しくてつらい道だったり、努力をしてきた時間だったりを後悔してほしくない。

必ず、必ずそれ以上の『何か』を手にしているはずだから!

このマガジンでは、『サッカーは僕の人生の教科書だった』をテーマに、1993年~2005年のサッカー人生を振り返っている。

たくさんの挫折や苦悩、成長を経験してきた。

その先には『人生のつながり』が作り出した人生を豊さを与えてもらった。だからこうして、サッカーのすばらしさやスポーツの魅力を伝えたいと思っている。

このマガジンを通して読者の方に、勇気や元気を持って帰ってもらえたらうれしいです!



#002からはじまる『浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)の入団テストは異様な空気だった。【サッカーは僕の人生の教科書だった】#002』もご興味あればぜひお読みください!


いいなと思ったら応援しよう!