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浦和スポーツクラブJr.ユース(現:浦和レッズ)!夏の大会の記憶【サッカーは僕の人生の教科書だった】#004
1995年、浦和スポーツクラブJr.ユース(現・浦和レッズ)でチームは日本一。しかし、メンバー外だった僕は悔しさしか残らなかった。10年後、全国クラブチームサッカー選手権で再び日本一の舞台へ。スタメンとしてその瞬間を迎えたとき、ようやく自分を認めてあげられる気がした。Jクラブの下部組織から30年、長い一瞬のなかで感じて、わかったことを言語化する。
1993年、いよいよ浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)Jr.ユースでの活動が始まった。
今振り返っても、正直、3年間苦しいかった記憶しかない。
苦しかったという表現より、周りのレベルについていくのに必死で(実際は置いていかれていたと言ったほうが正しい)、余裕がなかった。
結果的には、自分のプレーを見失いってしまいピッチ上で何をすればいいか分からなくなるほどだった。
そんな苦しい記憶の1つ。1年生のときに参加した夏の大会がある。たぶん、神奈川方面へ遠征してた…と思う。
会場は天然芝、蒸し暑いピッチの上は息苦しくて、走るのがしんどかった。
当然、他のJクラブの下部組織も参加していた。1番記憶に残っているチームは、清水エスパルスJr.ユースだったかな。
なぜなら、前年度の「第16回 全日本U-12サッカー選手権大会」(昔の呼び名は、全日本少年サッカー大会)で優勝した「清水FC」のメンバーが大勢いいたからだ。
僕は試合前からビクビクしていた。
仲間たちからは「全国大会」や「日本一」というワードがバンバン出ていたし、他のJクラブと戦うのが初めてだったということもあるだろう。だけど、それにしてもメンタルが弱い……戦う前から個人的に負けていた。
戦っていく中で、ギリギリ競り勝った試合もあった。僕は、一つひとつ勝ちあがるチームが、戦うたびに強くなっているんじゃなかって錯覚した。
新チームで挑んだ大会。僕たちは見事に優勝を成し遂げた!
僕自身、出場時間は短かった。他の選手たちが喜んでいるなか「自分はチームのために何をしたんだろうか……」と、素直に喜べず考えていた。
この頃の自分を振り返ると、圧倒的に「自分で考える力」が弱かったと思う。
サッカーは秒単位で状況が変化するスポーツだ。そのときの状況で、自分が何をするべきか判断して、実行しなければいけない。
僕には「考える力」が本当に弱かった。
この経験を活かして、育成年代を指導するときは、選手たちに常に”考えるクセ”をつけさせている。
試合中、チームの状況や自分の状況に応じて、何をするべきかを考えられる選手は”自主性”をもってプレーできるから。
本当に、この大問題に早い段階で気づきたかった……
翌年、もっと大きな問題に直面して挫折する運命。
#005へつづく
僕が浦和スポーツクラブ(現:浦和レッズ)のセレクション合格の話『「ライオンの檻に入れられたウサギのよう…」まさかのJクラブのセレクション合格!【サッカーは僕の人生の教科書だった】#003』も、ぜひ読んでみてください。