「まちに人が来んのじゃ!」と叫んでる人が、「まち」に「人」が来ない元凶だという事実。「まち」とは、常に新しきを讃え変わり続けていくもんじゃ!
いろんなまちへうかがい、いろんな人の話を聞きます。喫茶ランドリーで仕事をしていても、遠くからいらした方が、話しかけてくださることも少なくありません。いろんな「まち」のことをうかがえるので、ありがたいことです。
「まちに人がこんのじゃ!」この言葉を、その中でよく耳にすることがあります。
男性も女性も、年齢も関係なく、どのまちにもある一定の割合でいらっしゃるように思います。
「まちに人が来んのじゃ!」の次には、大抵、自分が頑張ってきたがふるわなかったこと、こんなアイデアがたくさんあるということ、どうしてそれを行政がやってくれないのか、あるいは他人の賛同が得られない、という話へと展開していくことが多いのです。
この3、4年、なぜかいろんな方々から同じ台詞を聞き続けてきました。
すると、いくつかの傾向が見えてきました。
まず、この台詞を口にしがちな人が描く未来の「まち」って、過去に繁栄した時の「まち」の姿なんです。過去を振り返り、指を加えて見ているようなイメージ。栄えていたあの頃に戻りたい気持ちが見え隠れします。
でも、「まち」は戻りません。人や社会の変化とともに、ずーっと変わり続けていくものなのですから。それは人類の歴史を振り返ってもわかるはずです。
たとえば、日本の人口が今後増加していくなんてことは、天変地異が起きようとも、可能性はゼロです。だから、「あの頃は……」「あの頃のように……」なんてことにフォーカスするのは、まるで無意味なことなのです。
もう一つ、そのような人には、コンテンツに頼る傾向が強いように感じます。歴史や文化、名産をアピールすれば人が来て「まち」がワーイ!ってなると思われている。そのアピールの手法にを変えればまちは潤うと思っている。いやいや、昔、そういう成功があったとしても、果たして本当に「まち」に暮らす人々の幸せに、つながっていたのでしょうか?
さらに、もう一つ表裏一体で立ち現れてくる傾向が、「新しきもの」「若い世代」「理解できない価値観」に対する圧倒的な不信感を、持たれているということ。
これが一番ヤバい!!と思ったのです。
なぜなら、この考え方そのものが、「まち」を停滞させる最大の要因になりかねないから。
言い方を変えると、「理解できない価値観を持つ自分より若い世代に不信感を持ち対話しない」を徹底させれば、どんなに繁栄している「まち」でも、簡単に衰退させることができます。
いやいや、若い者はわかっとらんのじゃ!という声が聞こえてきそうです。
でも、ちょっと俯瞰したところから見ている私たちにとっては、あなたの方が「まち」のこと、「まち」と「人」との関係がわかっていない。
まさに「まちに人が来んのじゃ!」と仰っているあなたが、「まち」に「人」が来なくさせている元凶になっしまっているのです。
ご本人にとっては、ショックなことだと思いますが、本当にそうなんです。
では、どうすりゃいいのさ??となりますよね。
今回は少し簡易的に書きますね。
まず、どうか若い人にも、女性にも、もちろん高齢の方にも、誰に対してもチャンスを与え、トライを安価に実現させてあげてください。
みんな同じ人間。その「まち」のことが好きな気持ちは、あなたと同じはずです。敵など、どこにもいないのです。だから、サポートできることがあれば全力で。あなたもグタグタ言わずに、やれることをやりましょう。
価値がよくわからなかったり、くだらないと思うこともあるでしょう。それでも、否定なんて絶対しない。やらせてあげて、心あるコミットで見守ってあげてください。(逆に、若者がたむろしているだけで、問題扱いするような視線など言語道断です)
そして大切なのが、それをできるだけ「まちの1階」で。
ひとつ、「まちの1階」に新しい何かが芽生えはじめると、必ずそこに人が集まりはじめます。またひとつ生まれると、そこにも新しくひとが集まりはじめます。3つくらいできると、人は巡りはじめます。10くらいできたら、少し遠くからも人が集まりはじめます。
ちょっとずつ、ちょっとずつ。
もし30くらいできてしまった時には、「人が来んのじゃ!」なんて誰も言わなくなっていることでしょう。うっすらと新しい「そのまちらしさ」も見えはじめているはずです。
そして、それはおそらく、それまでそこにあった「まちらしさ」でない可能性が大きいです。もう少し性格に言うと、今まであった「らしさ」に、新しいものが折り重なって、「まち」がイカした新しい「らしさ」を身にまとっている。そんな感じです。そうなった方が、。
そして、その時に気付くことがあるはずです。
自分たちが求めていたことは、「人が来ること」ではなかった、ということです。
人間的な心地よいやりとりの中で、まちのいろんな人がさまざまにトライを重ねていく。「まちの1階」に人の居場所が、まちのそこかしこで会話がかわされる光景が増えていく。
その何気ない日常が、「まち」に暮らすあまねく人々の健康の源になっているのだなぁと。そこに幸福感を実感するようになる。
そのエリアを歩く人が増えていけば、そのエリアにお金が落ちていきます。ネットがあろうが、ショッピングモールがあろうが、そういう「まち」は生き続けていくものです。
今日から、「まちに人がこんのじゃ!」は禁句です。
まずは、今日お話しした、このマインドセットをまず持つところから、スタートしましょう。
「まち」の未来なんて、無限の可能性があるもの。それは、あなたやあなた以外の人たちが、無限の可能性を持っているということでもあります。
「まち」はイキイキとした人間の集合。
そう考えるとワクワクしてきませんか?
というわけで、今日はこの辺りで。
1階づくりはまちづくり
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大西正紀(おおにしまさき)
ハード・ソフト・コミュニケーションを一体でデザインする「1階づくり」を軸に、さまざまな「建築」「施設」「まち」をスーパーアクティブに再生する株式会社グランドレベルのディレクター兼アーキテクト兼編集者。日々、グランドレベル、ベンチ、幸福について研究を行う。喫茶ランドリーオーナー。
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