週間レビュー(2022年1月30日)_上滑りの建築
今週の出来事と雑感
今週はほぼ毎日が期末テスト。オミクロンの流行が凄まじいけれど基本的には登校して教場試験という措置が半数。残りの半数は元々全部オンライン講義の実施なのでWebテストか担当教員が危惧してオンラインでのテストに変更する形だった。正直なところ、ちょっとの工夫でフェアなオンラインで成立するのでそうした方が良いと思う。もし自分が学長であればそうする。
月曜は1年前に相当お世話になった先輩と色々と話をした。
話の中で「森原は25歳を超えても夢を見続けてしまう環境にいることになる。それを自分でどう捉えているのか。」ということを聞かれて、色々と考えながらその場では言葉を発していたけれど、確かにその問いに対して真面目に考え抜かなかった2021年だったと思った。
建築というのは、事業開発やらなんやらの短い時間尺度ではなくて「70歳にならないと名作は作れない」と言われるほどに、尺度の長い鍛錬や訓練を前提としている。ちょっと時代錯誤のような職人的なベクトルを否応がなく持っている。
ゆえに学生における時間は「実務」での成果というよりは「いつかには活きるであろう想像力や、地の力」の鍛錬に重きを置く。学科を卒業しても1級建築士を取るまでには数年の実務が必要であるし、40-50歳の建築家で若手と言われる場所でもある。
だからこそ「夢を見続けてしまう。」というのは明確に課題であり問題だ。下手したら、40-50歳まで学生であり、常に学び手であり続けてしまうしそれが許容されるのだ。そう考えるとよさはあれど、人間としてはちょっと恐ろしくないだろうか。
スタルクは「デザイナーというのは、自分の魂を、命を、ひたすら捧げ続ける職業」というけれど、捧げ方や捧げるための環境を選ぶことは重要なのだろうなと思う。檻を自分で選ぶということだ。
それでも建築の既存の環境やフローは社会的な責任をできるだけ負わないですむ練習環境であり、そこに入り浸り続けることになってしまう。それは気持ちが良いし、頭を使う知性的な行為ではあるのだけど、どこか業界特性という堅牢な殻に守られた土俵の中での戦いしかできてないようにも思う。
とはいえ、選んでいる環境から逃げることはできないし、自分自身建築に対してそれなりに愛情と強い熱意がある。だからこそ「夢に逃げないように」日々意識的に土俵からはみ出さないといけない。
受け身ではなく、ポジションをとって、攻め手に回らないといけない。
新しい仕事やプロジェクトが段々と動いてきた。
そして自分も誘われることが増えた。2021年は自分自身、何をテーマとして今後戦いたいのかを色々な人に自信を持って話してきたのだけど、その結果なのかもしれない。今週話した人は初めてちゃんと課題の目線があって久しぶりにわくわくしたりした。
企業に対しての脱炭素新規事業提案みたいなこともしている。
今週はその提案のmtgがあった。相当スペキュラティブな提案をしたのだが、初手で企業側に斜に構えられてしまい、企業担当者には「今のビジネスシーンでは〜〜なので」または「何で若い人は〜〜とよくいうのでしょうか?」などなどと相当マイナスな感情を引き出してしまった。(もちろん我々のプレゼンテーションのミスもあるのだけれど)
その中で感じたことは、イノベーションを期待したいと安直に主張する昨今の多くの企業は「簡単に世の中の大衆的なトレンドからなんらかの形で突破したい。(できたらいいな)」という浅はかな感覚を持っているのではないかと思う。
しかし、イノベーションや危機脱出のソリューションは何らかの犠牲が伴うし苦しさの中の成長過程で育まれるものである。そして今後どうなるか?という最も不透明な社会に対して小さなベクトルを掲げることだ。しかしながら、そこまで熱意がない場合、スペキュラティブな提案であればあるほど、それは奇怪な提案に見えるだろうし、不安が故に反射的に拒絶してしまうのだろう。まあ粘り強く寄り添いながら伝えるしかない。
読んだ本・観たもの
卒業設計の講評会
早稲田建築4年次の卒業設計の講評会が行われた。50組くらいが3分プレゼンテーション、3分教授陣による質疑応答。素直に面白い提案もあったし、もちろん流石の設計能力だなとおもった。しかし、最後の教授の講評は、全体的にマイナスな雰囲気であった。おっしゃっていたことを簡単にサマライズすると、
・作品として尖り切らないものが多く、ならすことに落ち着いてしまっている。
・課題に対して上滑りしている、課題設定やコンセプトは良いが、のめり込みが十分ではない
・造形的な美しさの感覚が変わっているのか不明だが、全体的に面白みに欠ける
といったところであった。
確かにどの作品も「上滑り」の感覚があった。上滑りとは何であろうか。建築はそもそも「具体的で妄想的なイメージ」しか提案できないものであるから、その上滑り感覚は常に保有してしまっている要素だと思う。
しかし昨今では建築自体が膨張しつづける社会の課題や問題に対してソリューションを示せない、または総合的なイメージや空間で解決することができない課題の方が大きくなっている。ビジネスやテクノロジーの優位性が今まで以上に大きい。アイコニックな建築を作って商業的、都市的な成功を収めたとか、建築技術力を示すためにパビリオンを建てて国威啓蒙に貢献したとか、そのような建築の役割ではなくなっている。つまり、既存の価値発揮の仕方を疑われている、または既に死んでいるわけである。
むしろ、経済成長のための建築や進歩主義的な役割が建築に期待されているのではなく、社会にバランスをもたらすことが重要だと思うのだが(=底の抜けた社会に底を作ること)そこまで想像することが叶う学生がどの程度いるかは環境としても疑問だろう。
社会に対して想像以外にできない建築学生にとって今の時代ほど「上滑り」してしまうタイミングはない。なので教授の杞憂は的を得ているが、それは誰のせいでもないのである。重要なのはこの現状を理解して戦おうとする人間がいるかどうかだと思う。
[イベント]ゼネコン TWO TOP に迫る
ゼネコン大手二社の社長が学生時代や過去を憂いこれまでの自分の仕事を評価し合う時間であった。衰えない意思は感じられたが、時代が完全に止まっており、特に思うこともなかったので途中で離脱。年齢が上がるほど裁量を持つ仕組み、おじさんに裁量が集まる社会はどれくらい意味のある仕組みなのか疑わしく思う。AIに裁量集めた方がむしろ良いのではないか。それは妄言なのだろうか。
民藝の100年展
ボリュームも十分で、大満足だった。吉村順三の国立近代美術館を批判した、柳生宗悦が国立近代美術館で民藝展をしているのは歴史の定めか。
民藝の成り立ちはやはりマルクス主義的な傾倒していたこと、そして戦時国家体制に組み込まれたタイミングでのNIPPONの発信に民藝が少なからず寄与したこと(森堯之雑誌表紙の皮肉はとても興味深かった)当時の日本帝国の植民地(朝鮮や台湾、中国の一部)などでも民藝活動を展開したことなどは興味深かった。
一考として加えるのであれば、民藝は民の美であり、民の自律的な工夫であり民の自然な動作であったはずだが、現在のように概念化思想化してしまったのは気になるところである。近代社会との乖離がそうさせたのだろうか?
また、常に我々の現在における動作や工芸的な取り組みから民藝は生まれるのではないだろうかとも考える。
そしてデジタルクラフトマンシップに移行しているのであれば、次の民藝のフィールドはデジタルなのかもしれない。東洋から産業革命は起きなかったが、もし起きたとしたら、近代の日常のデザインは全然違ったことだろう、その時代を飛び越えた再検討をデジタルクラフトで今できるのかもしれない期待もある。
民藝のように強くもの自体を愛し、ものに対して想像することに重きを置いた価値の測り方はとても幸せだろうと思った。
我々近代に浸かりきったまま生まれた人間は、ものに対して機能的価値基準をどのようにしても持ってしまうし、ものへの想像の余白的な価値の測り方を失いつつある。民藝展で大量の工芸作品をみる中で、それに改めて気付かされた。自分でも手を動かしたい!とこれほど思った展覧会はなかったし、手に鉛筆と紙を持ってなかったことを途中で悔やんだ。
今一度気になるのは、民藝は伝統論争にどう反応したのだろうかという点と建築と民藝の系譜のその後である。これは後日調べようと思う。
建築家・坂倉準三と髙島屋の戦後復興-「輝く都市」をめざして―
展覧会自体は大きくはなかったが、回顧するという意味合いではとても面白かった。東孝光が坂倉建築事務所出身であったことは初めて知ったし、新宿ロータリーの具体的な計画は詳細には知らなかったため、都市計画構想を知り、勉強になった。
和歌山の高島屋の設計は商業施設ながら大スロープが備え付けられてており、坂倉準三は形式的でどこかシックな設計をすると思っていた自分にとっては驚きだった。
今回の展覧会で確かに新宿のロータリーをはじめとしてあらゆる都市計画や建築は日本の経済成長の基礎として機能していたことを改めて痛感する。
この時代に建てられたものが、今どんどんと世代交代を迎え解体の岐路に立たされている。これが意味することは、もはやコルビジェの系譜の時代は完全に節目を迎えたということなのかもしれないし、近代建築というものがもはや近代の意味を成さなくなったと言えるのかもしれない。
だから回顧することで必要なのは、明確にテーマが移ったということを次の建築の近代を形作る世代に私たちが認識することである。
そう思うと、改めて元気が出てくる。