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連載小説「水戸黄門 千手殺人事件」(4)

   4

 わたしは以下の二冊を図書館から借り受け、入院中の立眼関の病室に持っていった。

 塚本学『人物叢書 徳川綱吉』(吉川弘文館)
 大石慎三郎『元禄時代』(岩波新書)

 スライド式のドアを開けると、中に見知った顔がいた。あの奇っ怪なエスパー・ワタナベ事件を立眼関とともに解決した警視庁捜査一課の大森警部である。お互いに挨拶を済ませたところで、
「ちょうど今、大森警部から、藤井紋太夫殺人事件の新解釈を教えてもらったところなんだ」と立眼関から言われた。
「ほんとうですか?」
「いやあ、ぼくの推理じゃないですけどね」と大森警部は前置きして、「『光圀伝』って漫画で見たんです。冲方丁さんの小説を三宅乱丈さんがコミカライズしたものですけど、そのクライマックスが紋太夫殺害のシーンなんですね。紋太夫は光圀を崇めるがばかりに、光圀が中心となる世を作ることに義を見出し暴走、秘密裏に画策していたのを知った光圀がそれを殺すために殺す、という話でした」
「それは面白い! 陰謀論とはまったく真逆の解釈ですね」と感想を述べたあと、わたしは立眼関に訊いた。「きみの意見は?」
「きみと同じだよ。漫画も小説も読んでいないのでちゃんとしたことはいえないが、その紋太夫、水戸学の藤田東湖のイメージが重なるんだ。藤田東湖は――鈴木氏の本に書いてあることだが――水戸黄門を右翼思想の始祖に祭り上げた張本人だ。具体的に、仏教は外国渡来の宗教だから廃止して神道のみを信じるべきという廃仏毀釈はいぶつきしゃくを提唱する時に、それは義公の尊慮、つまり水戸黄門の意志だからって東湖は言うんだ。しかし、それは嘘だ。水戸黄門はそんなことは言っていない。仏教の寺を壊すどころか建立したほどだ。水戸黄門の発言の一部だけを抜き取って自分の主張に利用する。まあ、現代でも保守派の論客でやってる人がいるね。もしかしたらそういった風潮に警鐘を鳴らしているのかもしれない」
「その藤田東湖っていつ頃の人なんだい?」
「水戸黄門の百年以上後の人だよ」
「事件の起きた時代にもそんな過激思想の人はいたのかな?」
「それは、『光圀伝』の仮説が実証できるかって意味かな?」
「まあそうだ」
「それはできないだろう。口論があったことは事実だが、どんな口論なのか、水戸黄門が語ってないんだから、しかし、だからこそ、フィクションとして、作者の腕のふるい所というわけだ。使い古された陰謀論ではない独自の解釈を打ち出したのは素晴らしいね」
「でも、きみはフィクションにするつもりはないんだよね」
「作家じゃないからね」
「じゃあ、何をするんだい?」
「推理だよ」
「つまり、仮説、憶測ってことだよね」
「ああ、そうだ」立眼関は躊躇なく肯いた。「だってそれがぼくの職業、いや性分なんだから」

 数日後、ふたたび立眼関を見舞った時には、こないだ渡した二冊とも読み終えていた。
「この二冊――鈴木氏の本もそうなんだが――世間で流布されている水戸黄門、柳沢吉保、徳川綱吉のイメージがいかに実像とかけ離れているかを教えてくれるよ」
 と立眼関はご満悦だった。
「平塚さんに言わせると、水戸黄門と将軍徳川綱吉は不倶戴天の敵らしいけど、実際はそうでもなかったようだ」
「聞いた話だけど、綱吉の生類憐れみの令に抗議するため、水戸黄門が犬の毛皮を送ったっていうけど、違うのかい?」
「鈴木氏の本によると、水戸黄門が肥前小城藩主・鍋島元武宛の手紙で、生類憐れみの令を批判することを書いていたのは事実らしいが、それは親しい仲だからで広言していたわけじゃない。犬の毛皮を送ったという話にいたってはまったくのデマだ。もっとも、水戸黄門が水戸藩主を引退する時、二人の間に何か遺恨に残る確執があったんじゃないかと鈴木氏は書いている」
「柳沢吉保とは?」
「隠居後、綱吉の要請で水戸黄門は江戸参府をするんだが、再会の挨拶をした後、綱吉からぜんぜん連絡がなく、困り果て、従兄弟の紀伊藩主・徳川光貞に相談したら、柳沢に取り次ぎを頼んだらどうだろうとアドバイスされ、そうしたそうだ」
「それで会えたのかい?」
「うん、会えた」
「ドラマだったら意地悪で無視されるんだろうね」
「それぞれの評伝を読んで思ったんだが、意外なことに、ふたりはタイプが似てるんだ。具体的に、学問好きなこと。水戸黄門が『大日本史』という歴書を編纂していたのは有名だが、中国・みんから来日した朱舜水と親しくしたり、古墳調査なんかも行ったりした。一方、綱吉も孔子廟――現在の湯島聖堂だね――を建てたり、自ら大名や幕臣たち相手に『大学』や『中庸』を毎月のように講釈したり、南北朝・戦国時代の動乱で所在がわからなくなった歴代天皇の墓を調べさせたり。あと、積極的な人材登用。伝統的に家柄や格式を重んじる武家社会にあって、そうでない藤井紋太夫や柳沢吉保を登用した」
「家柄や格式の武士たちには面白くなかったろうね」
「うん。だからぜがひでも二人を悪役にしたかったのかもしれない」と立眼関は笑った。「そうそう、水戸黄門も綱吉も自分で能を舞ってたそうだ。これも当時の武士としては異例なことだったらしい」
「能といえば、事件の起きたのは水戸黄門が能を舞った後だったね」
「そうだったね」
「何て能だったっけ?」
「『千手せんじゅだ』
「どんな内容?」
「わからないが、調べてみる必要がありそうだね。図書館に予約しなくちゃ。確保できたら連絡するからまた頼むよ」

(つづく)

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