マイ・ライフ・アズ・ア・リビングデッド #13
先に『デジモンアドベンチャー』のベースに『蝿の王』があると書きましたが、選ばれし子供たちの中でもっとも『蝿の王』に近づいたのはタケルだと思っています。幼く、無垢ゆえに、環境に染まりやすい。残酷な環境であれば残酷にもなるでしょう。第43話『危険な遊戯!ピノッキモン』と第46話『メタルエテモンの逆襲』のタケルはかなりヤバイです。『デジモンアドベンチャー02』第19話『合成魔獣キメラモン』のタケルが怖いのはその名残りともいえます。
タケルが物語の語り手であることは、『デジモンアドベンチャー』第52話「聖剣士!ホーリーエンジェモン」を書く時には知らされていました。本来は映画『スタンド・バイ・ミー』のような最終回になるはずが、『02』が始まることで出来なくなったことも。それにより、小西寛子さんの幼少期タケル(ソプラノ)から平田広明さんの成人タケル(バリトン)への橋渡しとして、『02』でアルトの山本泰輔さんが少年期タケルに起用されたのだと思います。
それはともかく、この回はレイ・ブラッドベリを意識して書きました。
そして最終回、第54話「新たな世界」ですが、8つのお別れのエピソードは自分の体験したことから引き出しました。作為的にしたことといえば、回想シーンを入れなかったことです。長崎で「劇団白黒テレビ」という劇団の座付き作家をしていた時、懇意にしていただいた長崎新聞社文化部・迎修様から、「君の芝居は説明しすぎるんだよ。観客は自分で想像して考えたいんだよ。観客の楽しみを奪っちゃだめだよ」というご批判を頂きました。それで、子どもたちとデジモンの思い出は、回想シーンとして見せず、語りだけにして、視聴者の皆さんに1年間続いた冒険の日々を思い出していただこうと考えました。視聴者の皆さんを信じて、すべてを委ねました。この最終回を感動的なものにした人は誰かというと、それは、視聴者の皆さんです。
最終回執筆のチャンスを頂いたのは光栄でした。自分がシリーズ構成をするようになって、この時の体験を活かすことができました。最終クールは脚本を書かずにシリーズ構成の仕事に専念し、最終回も他の脚本家さんに書いていただきました。
フランスのプログレ/アバンギャルド・バンド「 La STPO (La Societe Des Timides A La Parade Des Oiseaux)」のヴォーカリストのPascal Godjikianは、アニメ脚本をやる前からの友達ですが、メールのやりとりで、「最近何してる?」、「アニメーションの脚本を書いてる」、「何というアニメ?」、「デジモンアドベンチャー」、「ああ、知ってる。娘が見てる」と、かなり早い段階で世界的ヒットになっていたことにも驚きました。
数年後、友人からとある教育出版の会社のアニメの脚本を頼まれました。その会社は実は僕が就職試験を受けて落ちた会社です。面接で「ウチで何をやりたいか?」と聞かれ、「映像を作りたいです」と答えたら「ウチはそんなのは作らん。帰り給え」と追い出されたのですが、その後、会社の方針が変わったようです。そこで担当者が「こんな感じのを作って欲しい」と言われ、アニメを見せられました。『デジモンアドベンチャー』と『おジャ魔女どれみ』でした。自分が関わったことは告げずに話をうかがっていると、「1分間に1つ感動を」と言われたので、「無理です」とお答えしました。結局やりはしましたが、感動のない子供向けの教育アニメになりました。
(つづく)
次に何を書くかまだ決めてませんが、たぶんアニメじゃないことを書きます。
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