シナリオについて #3
第3回は「回想内回想」。
ある作品の打ち合わせで、監督が回想シーンの中にさらに回想シーンを入れるよう求めたが、脚本家が頑としてそれを拒否する、ということがあった。
その脚本家は脚本講座で「回想内回想は禁じ手だ」と教わったらしい。
回想内回想は僕もやったことがないのだけど、サンプル・プロットを作ってみる。
敬遠する脚本家も多いが、トム・ストッパードなんかはわりと多用している。たとえば『ビリー・バスゲイト』では長い長い回想シーンがあって、回想戻りで、「あ、これ回想だったか」と気付くが、戻ったそこもまだ回想で、ちょっと変な感じがする。
ある映画では、回想の中で別の登場人物が回想を始める、なんてこともある。
小説だと、シャーロック・ホームズの短編でよく用いられる。ホームズがワトソンにどんな事件を依頼されたか(回想)、その中で依頼者が語った過去(回想内回想)、というものだ。
個人的印象だが、回想内回想は伝記やミステリでよく使われているような気がする。
回想内回想は、いわゆる「入れ子構造」である。古典(ホメロス『オデュッセイア』他)から近代文学(セルバンテス『ドン・キホーテ』他)まで問題なく用いられた。
それがどうして敬遠されるようになったのか――おそらく、物語学(Narratology)で物語形式の理論と解析が進んだ結果、定式化されたことが原因ではないだろうか。その結果、回想シーンは、それが回想だと読者(観客)にわかるように、「回想入り」と「回想戻り」で示すこと、なんてルールが生まれたのかな?
では、その回想入りと回想戻りを省いたらどうなるだろう?
現在と過去・大過去が混在してしまう。
その結果が、モダニズム文学でいう「意識の流れ」や、ポストモダン文学でいう「非線形」ではないか?
近年の映画でも、クリント・イーストウッドやクリストファー・ノーランなどの映画はそれに近い。そして、それは観客に受け入れられている。
結論として、回想内回想は、観客(視聴者)が違和感を感じさせなければ何の問題もない。(もっとも一般の観客はそれに違和感を感じるのだろうか?)
次回は、「ショッキング演出」。
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