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シナリオについて #3

 第3回は「回想内回想」。
 ある作品の打ち合わせで、監督が回想シーンの中にさらに回想シーンを入れるよう求めたが、脚本家が頑としてそれを拒否する、ということがあった。
 その脚本家は脚本講座で「回想内回想は禁じ手だ」と教わったらしい。

 回想内回想は僕もやったことがないのだけど、サンプル・プロットを作ってみる。

1□事件現場
   担架で救急車に乗せられるギャングのジョージ。
   刑事が、私立探偵のフィリップに訊く。
刑事「何があったんだ?」
フィリップ「実は……」

2□フィリップの回想
   拳銃を持って向かい合う対峙するフィリップとジョージ。
フィリップ「銃を捨てろ。おまえを殺したくない」
ジョージ「そうはいかねえ」
   と引き金を引く。
   やむなくフィリップも引き金を引く。
   倒れるジョージ。駆け寄るフィリップ。ジョージの拳銃は空白だった。
フィリップ「おまえ……」
ジョージ「(虫の息で)……なあ、フィル。覚えてるかい。ガキの頃を……」
フィリップ「ああ……」

3□フィリップの回想の回想
   貧民街で仲良く遊ぶ幼いフィリップとジョージの長いドラマ。

4□回想戻り(フィリップの回想)
ジョージ「(微笑み)……楽しかったなあ……(死ぬ)」
フィリップ「……」

5□回想戻り(事件現場)
   話を終えたフィリップ。
刑事「そういうことだったか」
   フィリップ、肯いて走り去る救急車を見る。


 敬遠する脚本家も多いが、トム・ストッパードなんかはわりと多用している。たとえば『ビリー・バスゲイト』では長い長い回想シーンがあって、回想戻りで、「あ、これ回想だったか」と気付くが、戻ったそこもまだ回想で、ちょっと変な感じがする。
 ある映画では、回想の中で別の登場人物が回想を始める、なんてこともある。
 小説だと、シャーロック・ホームズの短編でよく用いられる。ホームズがワトソンにどんな事件を依頼されたか(回想)、その中で依頼者が語った過去(回想内回想)、というものだ。
 個人的印象だが、回想内回想は伝記やミステリでよく使われているような気がする。

 回想内回想は、いわゆる「入れ子構造」である。古典(ホメロス『オデュッセイア』他)から近代文学(セルバンテス『ドン・キホーテ』他)まで問題なく用いられた。
 それがどうして敬遠されるようになったのか――おそらく、物語学(Narratology)で物語形式の理論と解析が進んだ結果、定式化されたことが原因ではないだろうか。その結果、回想シーンは、それが回想だと読者(観客)にわかるように、「回想入り」と「回想戻り」で示すこと、なんてルールが生まれたのかな?

 では、その回想入りと回想戻りを省いたらどうなるだろう?
 現在と過去・大過去が混在してしまう。
 その結果が、モダニズム文学でいう「意識の流れ」や、ポストモダン文学でいう「非線形」ではないか?
 近年の映画でも、クリント・イーストウッドやクリストファー・ノーランなどの映画はそれに近い。そして、それは観客に受け入れられている。

 結論として、回想内回想は、観客(視聴者)が違和感を感じさせなければ何の問題もない。(もっとも一般の観客はそれに違和感を感じるのだろうか?)

 次回は、「ショッキング演出」。

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