随筆『ルーツ』
我が家のルーツについて、父親が生前、役所など回って、かなり丹念に調べていて、ぼくから数えて六代前までは判っている。
出身は天草の二江村――現在の熊本県天草市五和町二江、イルカウォッチングの発着港で有名な町だそうで、現在も親戚たちが暮らしている。
長崎市に移り住んだのは曽祖父の代で、大正十四年六月。家族全員の移住で、曽祖父はこの時五十一歳。前後して、曽祖父の弟たち妹たちも長崎にやってきている。
一家が住んだのは十人町というところ。NHKの『ファミリーヒストリー』を視ていたら、竹中直人さんのお母様も十人町にいらしたそうで、もしかして知っていないか、叔母に訪ねたら、十人町は広すぎてわからないとのこと。
新地中華街に近く、曾祖母の妹は中国雑貨店を営む中国人と結婚。叔母の話では、中華街で大火事があった時、一家全員避難してきてすごく窮屈だったそうだ。なお、その子孫は現在、台湾、香港→カナダ、そして日本とワールドワイドに散らばっている。
曽祖父は長崎に来ると、ビリヤード屋を複数店開業。そのうちの一店は、おくんちで有名な諏訪神社の長坂の麓にあったという。実は高校時代、学校帰りに、そのあたりのビリヤード屋に立ち寄ってよく遊んでいた。曽祖父がやっていた店か、別の店かはわからないが、奇縁である。
曽祖父には娘が四人いて、祖母はその末娘にあたる。昭和三年、祖母二十三歳の時、婿を取る。三歳年上で、南高南串山町(現・長崎県雲仙市)の出身。祖父は出島の近くでペンキ屋を営む。
昭和二十年八月九日、長崎に原爆が落とされた時も一家は十人町に住んでいた。父と叔母たちは本来なら報国隊として三菱の工場に働きに行くはずが、お盆前、墓の補修をするためにさぼらされていた。午前十一時二分、父・祖父・曽祖父は中新町の広済寺前で被爆。
城山町に住んでいた曽祖父の弟一家が全滅し、曽祖父は被爆直後の焼け跡を何日も往復し、全員を手厚く葬った。しかしその五年後、肉腫で死亡。
昭和二十六年、祖父は爆心地そばで、当時まだ焼け野原で何もなかった坂本町の土地を安く借り受け、そこに家まるごと解体して、リアカーで運び、自分で家を組み立てた。その挨拶回りをしている最中に突然倒れ、そのまま他界。
青年だった父は店を継ぐどころか、すぐに畳んだ。登山とクラシックと鉄道が趣味の自分は商売人に向いてない、という自覚があったようだ。その後、仕事場の向かいにあった親戚の家で家事手伝いをしていた母と知り合い、結婚した……。
ところでぼくはまだ天草に行ったことがない。
長崎のランドマーク、映画『アオハライド』にも出てくる稲佐山の展望台から、遠く天草が望めるが、蜃気楼で天空の城ラピュタのように浮いて見える。イルカも見たいので行ってみたいのだが、死ぬまでに行けるかな……。
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