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『徳川六代 馬 将軍』連載第五回

第一話 イェド、仲間たちとフウイヌムの国を出、ヤフーの国に到着する(承前)

 軍馬にもなれない、種馬にもなれないわたしは、疵馬として、払い下げられることになりました。売られた先は農家でした。農家にもいろいろありますが、貧しい水呑み百姓の家。甚吉夫婦に娘ふたり、息子ふたり、それに甚吉の年老いた母の七人暮らしでした。さらに、コゾウと呼ばれるウマもおりました。
 ちょうど田植えの時期で、わたしとコゾウは馬鍬まんがと呼ばれる農具を引っ張って水田の土をかき混ぜる代掻しろかきという作業をやらされました。ピエと別れてひとりぼっちとなったわたしは、コゾウに言葉を教えようとがんばったんですが、だめでした。この国のウマとわたしたちフウイヌムは姿形こそそっくりですが、まったく違う生き物だったのです。
 田植えが済むと、今度は肥料など荷物の運搬をさせられました。先にお話しした通り、わたしは「拵え」に失敗して、足が不自由でした。重い荷物など背負わされると、すぐにへばって動けなくなってしまう。そんな時、コゾウが、おれはまだ余裕だぜと言わんばかりに嘶くのです。すると主人はわたしの荷物をコゾウに移し替え、わたしはそれで何度救われたことか。わたしとコゾウは言葉は通じません。しかし、心は通じ合っていたのです。わたしがありがとう、助かったよと頭をさげると、コゾウは気にするなとばかり、白い歯を見せてニコッと笑ってくれました。
 稲刈りも済み、冬になった頃、コゾウが病気にかかってしまいました。鼻から膿のような鼻汁を垂らし、咳がひどい。感冒でした。
 一家は貧乏ですから馬医を呼んだり、薬を買うことはできません。できることといったら、コゾウのたてがみを撫で、苦しくねえか、がんばれと励ますか、神仏に祈ることだけです。しかし、それもむなしく、三日後、コゾウは亡くなってしまいました。
 コゾウの遺体は村外れまで運ばれ、そこに埋められました。運んでいったのはわたしです。道端に捨てられたシルヴェルと違い、埋められただけでもコゾウは幸せだったといえるでしょう。

 次の年の田植えも、その次の年の田植えも、農場はわたしだけでやりました。たとえ通じなくても、話す相手がいないのは寂しいものです。その頃にはわたしもヒトの言葉がわかるようになっていましたから、ある日思い切って、甚吉の母親に話しかけてみることにしました。しかし、無視されてしまいました。後になって、甚吉の母親は年寄で、耳が遠かったからだとわかりましたが、その時はショックでした。わたしは死ぬまでこの国で物言わぬウマとして使役され続けるのか、そう思っていました。
 そんな時です。五郎右衛門という若者と出会ったのは。
――甚吉さん、このウマ、売りに出すって本当かね?
――ああ、どこか貰ってくれるところはないかねえ。
 寝耳に水の話でした。なんでもその年は凶作で、家族が食うだけでも精一杯で、馬に食わせるまぐさなんかとても買えないというのです。だから、
――だったらおらに売ってくれないか?
 という五郎右衛門の提案は主人にとって渡りに船でした。しかし、
――売ってもいいが、何に使うだ? おまえさん、田畑もないだに。
――どう使うかはおらの勝手だ。さあ、どうする? 売るのか、売らねえのか?
 背に腹は代えられません。主人はわたしを二束三文で五郎右衛門に売ってしまいました。

(つづく)

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