掌編小説『始発前』
有名人の誰それさんが自殺したというニュースがテレビで報じられていた。しらじらと夜が明けかけた食堂、オイスターソースの入れすぎで汁が黒ずんだ野菜炒めを食べていたかずひらさんが箸を休めてぽつりと漏らした。
「偉いなあ、若いのに」
ぼくは耳を疑った。
「偉くなんかないでしょ。悩んで悩んで、追い詰められて、どうしようもなくなって、自殺したのはわかるけど――でも、死んじゃ駄目でしょう。敗北でしょう。生きなきゃ。でないと、悔しいです」
興奮してそうまくしたてたものの、意見をどう展開し、どこに着地させるかは、自分でもまったく見えていなかった。
上京する前、大学のゼミの教授のところに挨拶に行った。卒業してもう十五年になる。昔話に花を咲かせていたら、教授から、
「今から授業なんだ。おまえも出ろ」
と言われた。
授業は法哲学で、その日のお題は《自殺》。授業参観だから教室の後ろで見るのだろうと思っていたら、教室の右前方の隅に椅子が用意され、そこに座らせられた。当然、生徒たちの「誰この人?」という訝しげな視線を一身に浴びた。
授業が始まった。
「諸君らは自殺をどう思うかね?」という教授の質問に、真面目な生徒たちは、「すべきではないと思います」とお行儀よく答えていた。出し抜けに――
「一平はどう思う?」
教授から話を振られた。
ここで狼狽でもしたら、OBとしての沽券にかかわる。ぼくは威厳たっぷりに、
「個人の生き方だと思います」そう答えた。「死によって人生を完結させたいと思うのは、その人の信念や美学であって、他人がとやかく言うものではないと思います」
三島由紀夫のファンだったからそう言ったわけではない。生徒たちの中にもそう思う者はいたはずだ。しかし、それを、ばりばりに理論武装して六十年安保を闘った教授相手に言えるかというと、怖くて言えない(あるいは、恥ずかしくて言えない)。質問を向けた時の教授の目は、おまえが言え、でないと授業が進まない、と助け舟を求めていたように、ぼくには思えた。
しかし、いまはそうではない。本音が出てしまった。
かずひらさんは、うん、と頷いて、
「そうだけどね……でも、俺はできなかったなあ。勇気がなくって……」
かずひらさんは交通誘導警備員の仕事仲間だ。交通誘導警備員というと聞こえがいいが、何のことはない、工事現場で棒を振ってる警備員のことだ。ついでに言えば、正社員ではなく日雇いである。仕事も今日は新宿、明日は福生と、都内を転々とさせられる。とはいえ、同じ現場で固定して働けることもある。工事期間が長期に及び、現場責任者に気に入られた時だ。ぼくはここ二ヶ月あまり、下北沢の駅改良工事現場に通っていて、そこでかずひらさんと知り合った。
かずひらさん、と呼んではいるが、漢字でどう書くのかはわからない。黄色い安全ヘルメットには平仮名で、「かずひら」、としか書かれていない。漢字で書いて、それが難読名字だった場合、頭上から鉄パイプが落下した時に、「○○さん、危ない!」とすぐに声をかけられないからだ。たとえば「東」と書かれていたら、「ひがし」かもしれないし、「あずま」かもしれない。間違って呼んだ場合、命取りになる恐れがある。
勤務時間は、終電後の深夜から、始発前の明け方まで。たまには早く終ることもあるが、始発が出るまで帰れない。そんな時、かずひらさんにちょくちょく朝食に誘われた。
かずひらさんは独り住まいで、帰宅しても誰も待っている人がいない。奥さんには先立たれ、娘さんはいるが、遠くに嫁がれたそうだ。年齢は古希を過ぎている。髪の毛は真っ白で、全体的にゴワゴワしているが、てっぺんだけがふわふわの和毛(にこげ)だ。
お世辞にも要領が良いとは言えない。交通規制に腹を立てた運転手に怒鳴られると、おどおどして米搗き飛蝗(こめつきばった)のようにぺこぺこ謝る。慌てると早口になり、舌が短いのか発音が不明瞭。しかし声量だけはあって、作業前の「ご安全に!」の掛け声は人一倍大きかった。
「……何で自殺しようって?」
知りたくて訊いたのではない。かずひらさんが訊かれたそうにしているのがわかったから訊いたのだ。訊かれたくないのなら端(はな)から話すはずがない。
かずひらさんの話はこうだった。
かずひらさんは数年前、大病を煩った。治療に専念するため、それまで勤めていた会社を退職し、二度の手術とリハビリを経て、どうにか健康は回復できた。復職したかったが、不況で会社は業績不振、リストラを進めている最中で、出戻り社員を雇う余裕はなさそうだった。ハローワークで職を探したが、五十を超えると、なかなか思うような仕事が見つからない。まあ、他にもいろいろあって、それで死を決意した。
北原ミレイの歌が聴こえてきそうな、二月の寒い夜、かずひらさんは自宅にほど近い、玉川上水沿いをひとりとぼとぼと歩いていた。太宰治のファンというわけではなかったが、太宰治がそこで心中したということを、かずひらさんは知っていた。しかし、どこで死んだかまでは知らない。舟から川に飛び込んだということだが、水深は浅く、舟が通れるようなところはない。そんなところで溺死するのは至難の業のように思えた。
かずひらさんは落胆して、他の場所を探した。万助橋を過ぎると、井の頭恩賜公園で、昼間は和楽器や民族音楽の練習場になっている。しかし、いまは真冬で深夜、さすがに練習している人間は誰もいない。
かずひらさんはベンチに腰かけて、どうやって死のうか、考えを巡らせた。
カミソリで手首を切るのは論外だった。なぜならば、痛い。首吊りも嫌だ。苦しいし、死んだ後、肛門括約筋が弛緩してばっちいことになる。とにかく、痛いのや苦しい死に方だけは避けたかった。
と、雪がちらほらと降ってきた。
これだ、とかずひらさんは思った。このままここに座っていれば、眠るように死ねる。(死ぬ直前、教会の鐘が鳴り響き、空から天使が降りてきて……とは、さすがにかずひらさんの世代は思わなかったろう)
かずひらさんは覚悟して目を瞑った。
しかし、なかなか眠れなかった。あまりもにも寒すぎた。震えで歯ががちがちと鳴りだし、指先は悴(かじか)んで、そのうち痺れてきた。
騙された、とかずひらさんは思った。小説や映画だと自殺は簡単そうなのに、現実はそうではない。
かずひらさんはベンチから立ち上がると、ポケットに手を突っ込んで、とぼとぼと家路を辿りだした。貧相に、背を丸めて……。
「自殺するってのは、勇気がいる。若いのにそれができるんだからたいしたもんだ」
皮肉でも何でもない、かずひらさんの偽らざる本心のようだ。
かずひらさんは野菜炒めを完食すると、ビールを飲むためにジョッキを手に取った。飲みかけでだいぶ層の薄くなった泡(あぶく)と、炭酸が泳ぐ琥珀色の液体を見て、かずひらさんが思いついたように言った。「いや、あの時、酒でも入ってたら、ひょっとして――」
ぼくはどきっとして何か言わなければと思ったが、その前に、かずひらさんは、「いや、無理か」と苦笑して、ビールをいっきに飲み干した。
(完)
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