シナリオについて #5
前にも書いたことありますけど、長崎の劇団で座付き作家をしていた頃、観劇していただいた知り合いの長崎新聞記者様から、「だめだよ。説明しすぎだよ。観客も考えたいんだよ。説明しすぎるとそれができなんだよ」というご批判をいただきました。
シェイクスピアの時代にクリストファー・マーロウという劇作家がおりまして、代表作『フォースタス博士』など読みますと、シェイクスピアより頭が良い。テーマにしろ展開にしろ論理的で、曇りがない。完成度という点では、シェイクスピアより上かもしれません。しかし、マーロウの作品は今では忘れ去られ、シェイクスピアの作品は残っています。それはおそらく、シェイクスピアの作品には、どう解釈したらいいのか不明瞭な点が多く、そこに観客(および演出家、役者)が付け入る隙があるからではないでしょうか。
シェイクスピア好きで知られる黒澤明監督ですが、完全主義者で知られ、実際にはマーロウと同じ、明確さを作品に求めているような感じがします。増村保造監督などは、黒澤明作品のテーマは原稿用紙2行で書ける(しかし、自分はそうではない)と言ったとか言わないとか。アメリカ映画の企画書も2、3行で(「ダイ・ハード」の場合、「テロリストがビルをハイジャックする」だったとか)、それで黒澤作品が愛されているのかもしれません。
そういう映画は単純明快で、見ていてスカッとします。
しかし、見終わった後、深い余韻を残したいなら、観客の想像力に託すのもありだと思います。
具体例
(1)登場人物が(不自然に)心情や設定を語る、いわゆる「説明台詞」を廃することで観客に想像の余地が生まれます。「Show, don't tell」と呼ばれる技法です。意図的に省略することもできます。
(2)未完成の結末。物語を尻切れトンボで終わらせることで、観客に結末を委ねます。リドル・ストーリーとも言われますが和製英語のようです(Riddle-taleという語はありますがまったく意味が違います)。クリフハンガー(cliffhanger)の一種と考えたほうがよさそうです。
PS
僕のシナリオの書き方は、おそらくコンクールではマイナス点になると思います。コンクールで脚本家を目指している方はそれに特化した攻略本?を御覧ください。
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