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『徳川六代 馬 将軍』連載第三回

第一話 イェド、仲間たちとフウイヌムの国を出、ヤフーの国に到着する(承前)

 わたしたち――わたしとピエのショックははかりしれないものでした。というのも、わたしたちフウイヌムは病気や事故、ましてや殺されて死ぬことはありえないのです。わたしたちが死ぬのは唯一寿命が尽きた時で、だいたい七〇歳から八〇歳くらいで亡くなります。だから、シルヴェルが本当に死んだとは思っていませんでした。でも、怪我をして動けなくなったのは事実で、それでピエは大声で呼びかけていたのです。
 しかし、シルヴェルの返事はありません。
 すると、一匹のヤフーが懐から小刀を取り出して、動かないシルヴェルの腹部にぐさっと突き刺し、一文字に斬り裂きました。切れ目からは夥しい血が溢れ、白い湯気が立ちました。ヤフーはその中に両手を突っ込み、血まみれの塊を取り出しました。それは肝臓でした。後で知ったことですが、この国では「熊の」と並んで「葦毛馬の」というものが生薬として重宝されているそうです。シルヴェルの毛並みは銀白色で、それは「葦毛」と言えるのだそうです。いっぽう、馬の肉を食うとか、馬の革を使う習慣は、一部の地域を除いてないそうです。それで、肝臓のなくなったシルヴェルの遺体は金にはならない、というので、そのまま道端に捨てられる運命にありました。もちろん、わたしたちは、まだ死んでいるかどうかわからない、生きているのなら治療したい、かりに死んでいるのならお墓を作って葬ってあげたい、と思うのですが、シルヴェルの方に近づこうとするだけで、ヤフーどもに鞭打たれ、棒で叩かれ、またシルヴェルの額を撃ち抜いた鉄砲をちらつかせるものですから、何もできず、首に縄をつけられ、ヤフーたちにされるがまま、どこかに引っ張っていかれたのです。
 このヤフーたちは、実は「馬盗人」という者たちでした。村で飼育されている里馬や、野山で放牧されている野馬を盗んで売り払う一団です。もちろんそれは法律で禁じられて、見つかると処罰されますか。それでもこの仕事をやってるのは、彼らが恐れ知らずの荒くれ者たちだったからです。
 3日ほどかけて、とある馬喰ばくろうの家に到着しました。その馬喰がわたしの股間をしげしげと眺めるのがなんとも不愉快でした。フウイヌム同士でもそんなことはしないのに、なんでヤフーごときに。実は、馬喰は馬の良し悪しを股の状態で判断するのだそうです。股の内側の肉が太くて大きいものほど良いそうです。そうして、わたしたちには、ふたりで金貨5枚の値がつけられました。馬盗人たちが金貨を受け取って引き揚げた後、馬喰はわたしたちを木造の建物の中に連れていきました。家と呼ぶには汚く、まるでヤフー小屋のように不潔で、悪臭が漂っていましたが、そこにはわたしたちより随分小柄なフウイヌムたちが大勢いました。馬喰がいなくなった後、わたしはそばにいたフウイヌムに話しかけました。まず、ここはどういうところか、尋ねたのですが、相手は何も答えてくれない。さらに質問を重ねても、相手はぽかーんという顔をするだけで、ついには、聞こえないふりをしてどこかに去っていきました。かれだけではない。他のものも全員そうです。
 わたしたちのことが嫌いなのかしら? と心配そうにピエが訊きましたので、わたしはこう答えました。
 そうじゃない。どうやら、かれらは言葉が理解できないらしい。
 あとになって、この国に「馬の耳に念仏」ということわざがあることをしりました。まさにわたしはそれを地で行っていたわけです。
 そうなの、それはお気の毒なこと。ピエはこの国のフウイヌム全員でなく、そこにいるフウイヌムだけが聾啞と思ったようです。ねえ、ところで(ピエが恥ずかしそうに訊きました)お便所はどこにあるのかしら?
 わたしたちは小屋の中を見回しました。そんなものはどこにもありません。床も滑らかな粘土でできた床ではなく、地面の上に藁が敷いてあるだけです。その藁も汚れている。
 と、わたしたちのすぐ前にいたフウイヌムが、突然ボトボトと脱糞をしはじめました。便所以外で用を足すなんて、恥ずべき行為であるなのに、平気どころか悦楽の表情を浮かべています。
 さすがにわたしたちにはそんなことはできません。小屋の隅っこにいって、わたしが壁を作っている間に、ピエにこっそり用を足させました。
 後でわかったことなのですが、藁と混ざったわたしたちの排泄物は「厩肥」として農作におおいに役立っているそうです。
 とまれ、この世界は、わたしたちにとって驚きの連続でした。

(つづく)

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