随筆『たそがれに屁の河童』(1)
2020 11/30。池部良『心残りは…』読了。抱腹絶倒の自叙伝だった。
(内堀保が出てきてびっくり!) 自叙伝……
新型コロナで巣ごもり中、自分を見つめ直すいい機会かもしれない。
たいした人生ではないけれど、つれづれなる前に書いてみよう。
タイトルは、いいのが思いつかないので、投げやり。
健康優良児
大きな赤ちゃんだったらしい。
体重がどれくらいだったか、具体的な数字はわからないが、健康優良児の候補にあがったという。だが、候補で終わった。
「はいはいで道を間違えたのよ」と母。
なるほど、ぼくの人生は生まれてすぐ道を誤っていたわけか。
お引越し
ぼくが産まれたのは長崎大学病院。原爆爆心地に近く、『長崎の鐘』で有名な永井博士がおられた大学である。その大学からすぐのところに、医学部通りと呼ばれる緩い坂があり、そこにぼくの実家があった。現在の長崎市坂本町(現在は平和町)。二階家で、両親、祖母、叔母が暮らしていた。
周囲の人にとても可愛がられていたらしい。そのままそこに居続ければ明るい善い子に育ったろうに、二歳の時、弟が産まれ、長崎市若竹町に引っ越した。
知っている人がいなくなって疎外感を感じたのだろう。それまでとは正反対に、人見知りする内気な性格の子供になった。居場所がないと感じるのは、いまも続いている。
カーマニア
本人はまったく覚えていないのだが、幼い頃、車道を走っている車の全車種を言い当てていたらしい。
ダットサン、プリンス、トヨペット……当時は今ほど車種が多くなかったからできたのだろう。
ところが、いまではまったくわからない。というか、車に関心がないのである。漫画を描いていた頃も、車などメカを描くのが大の苦手だった。
鬼のお遊戯
傍若無人でアナーキーな性格が発露したのは幼稚園の頃。
お遊戯会で鬼に扮して踊ることになったそうだが、やりたくなく、他の子達が踊っているなか、独りステージで座り込みのストライキをしでかしたらしい。
それで済んだのなら、ガンジーの非暴力的抗議だが、あいにく、ぼくは過激な暴力主義者だった。
幼稚園の入口で「帰る! 帰る!」と喚き散らすぼくを、若い女の先生がなんとか中に入れようとぼくの手を引っ張ったところ、その手にぎりりと歯を立てて噛み付いたらしい。その時の噛み跡は、翌年、先生が結婚式を挙げた時にもくっきり残っていたときく。嫁入り前の女性に大変申し訳ないことをしてしまった。
ウルトラQとの出会い
『ウルトラQ』に出会ったのもその頃だ。はじめて見たのは、忘れもしない、第3話『宇宙からの贈りもの』。
それまであまりテレビは見ていなくて、同世代なら誰でも見ていた『スーパージェッター』さえ見ていなかった。
衝撃を受けたのは、怪獣のナメゴンではなく、そのラストだった。終わったと思っていたら終わっていなかったのだ! しかも解決せずに終わる! ちょっとしたリドル・ストーリーだが、この作劇術にやられた! 以後、特撮・アニメ・漫画にどっぷりはまっていくわけだが、ぼくの創作者としての原点はあきらかにこの作品である。ちなみに、子供の頃は『仮面ライダー』よりも『ウルトラ』シリーズが好きだった。今思えば、円谷プロの作品はそういった語り口(ナラティヴ)の工夫が多くなされていたからだろう。
ヴィートル号のヴィ
この当時、大人たちは特撮・アニメ・漫画の類は子供に悪影響を与えると信じていたようで、見るな、読むな、と口うるさく注意していた。
ところがぼくは漫画を読んでいて、逆に褒められたことがある。
友達の国近くんの家で、ぼくは国近くんと一緒に漫画を読んでいた。そこに国近くんのお母さんが盆の上に麦茶を乗せて入ってきて、しばらくぼくたちふたりを眺めてから、自分の息子に、
「だめじゃない、○○(名前)。ヒロくんを見習いなさい」
と言うのだ。
「なにを見習うの?」と国近くんが訊くと、
「あなたは絵しか見ていない。だからページをめくるのが早い。でも、ヒロくんは、ちゃあんとふきだしに書かれてある字を読んでいる。偉いわ。あなたもそうしなさい」
他人に褒められることなんて滅多にないので嬉しかった。
ついでに言えば、読むだけではなく、わからない文字があったら調べた。たとえば、『ウルトラマン』の漫画(たぶん一峰大二だと思う)に出てきた"ヴィートル号"の"ヴィ"という表記。"ゐ"や"ゑ"も秘密の暗号を解くようで楽しかった。
そのおかげで小学校にあがった時点で、小学校で習う漢字はだいたい読むことができた。漫画さまさまである。
(つづく)
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