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作りたいものを作るべきか、それとも価値のあるものを模索すべきか
こんにちは、Masakiです。日本はだいぶ暑くなってきましたね…
そういえば新しいプロフィール写真に変えました
Photo by Ryosuke Nakai
いい感じに撮っていただいてありがとうございます!
では本題!
コンテンポラリー作家として思うこと
いい作品を作りたいと常日頃、10年以上の時間をその思いと寄り添って生きてきたわけだけれど、ふとこのままでいいのかと思うことがあります。
研究の内容は修士論文を書いているくらいの内容ではあるので、それなりに筋が通っている内容だと思うし、これをもっとよくして、もっとブラッシュアップできていけば、もっといい作品が作っていけるんじゃないかなと思っているのも事実。
でも、思うことは、本当にこのままの路線でいいのだろうか?という不安というかじれったさというか。
特に世界中のコンテンポラリー作家の中で、評価を現在受けているのは大きな社会問題などをテーマにした作品を作っている作家だ。
ベネチアビエンナーレのようなレベルでもそうだけれど、例えば去年ターナー賞を勝ち取ったJesse Darlingは、イギリスの歴史的な問題や階級社会などがテーマだ。
もちろんDarlingだけではないけれど、目につくような「ああ、やられたな…」と思うような作家というのは得てしてテーマの重みが非常にあるようにも思う。
現代社会に潜む問題を可視化するようなコンセプトを持っている作品というのは、もちろん現代美術(コンテンポラリー)としての価値が非常に担保されているように思うし、多くの人が興味を持つであるし、
なにより複雑ではある内容だとしても、シンプルで分かりやすいのだ。
矛盾しているようではあるけれど、だれもがこれらの社会問題を認識していたりするし、興味があったりする。それが可視化され、問題提起をしているようなそんなものだと心に刺さったりもしやすい。
こういう現代的な問題提起こそが、”現代アート”なんだ!と思っている人だってたくさんいる。
そういう意味で非常に刺さりやすい力を持っている。
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