まんびき団【小学生編】
大昔、大好きだった志村けんが
「抜弁天」「抜弁天」「ぬけべんてん」
とテレビで音の響きを楽しんでいた。
エロい響きなのか、行きつけの店があったのか、女がいたのか。
どうなのか。色々想像できる。
志村けんは当時オレの中の神様だった。
※正式名称は「厳嶋神社」であるが、苦難を切り抜けたと云う由来や、参道が南北に通り抜けできる事から、古くから「抜弁天(ぬけべんてん)」と呼ばれ親しまれている。江戸時代には江戸六弁天の一社に数えられ、現在は新宿山ノ手七福神の弁財天を担う。近くに鎮座する「西向天神社」の兼務社となっている。
このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初体験をさせられ、その後30年近くに渡り自身もアルコール依存症に苦しみ、その中で設けた我が子との絆を通じ、寛解するまでと、その原動力となった信頼と愛を余すところなく完全実話で書き下ろしたものである。
昔、その抜弁天から医科歯科大に抜ける商店街があった。
「まねき通り」だ。
今ももちろんあるが商店街とは言えない状態の装いだ。
文字から受ける印象も当時から悪くなかった。
その商店街で小学校5年の5月あたりまでいろいろお世話になっていた商店街だ。
最近もわざとそこを通って自宅に帰るのだが、思い出がカラーで蘇る。
今は廃れて店もチラホラしかないが、
当時は人気の駄菓子屋もあって子供も多い活気が感じられる商店街だった。
抜弁天から入ってすぐ左側に自分が引っ越すちょっと前までバラエティーストアーというスーパーがあった。
小学校1年生か、、、クラスに馴染んで新しい友達も増えてきた頃だ。
その当時、まじゃりんこからビックリマンにロッテのシールのおまけ付きお菓子はリニューアルし、爆発的に人気が出始めた頃だった。
そのスーパーでビックリマンをかなりの量を盗んだ。
チームは同じ学校の同級生。
もう経験済みの窃盗グループリーダーが自信満々に5,6人のチームを手引きする。親に言えば満足するぐらいの数は買ってもらえたが、その万引きという行為にそそられた自分がいたし、人にバレずに任務を遂行する自信があって、それを試したいということだったと思う。お腹にビックリマンを数個入れてレジ側の出口ではなく、入口ということになっていた別のドアまで走り切る。チームの誰かは、「おかあさーーん」と言って走り去っていた。隠さずに手に持って、お母さんに買ってもらうスタイルで走り切るタイプだ。数回参加し、すべて成功していた。
が、3回目ぐらいに誰かがしくじり、誰かが捕まり、店長に親も呼び出され、みんなで怒られた。だが一回で捕まったわけではない。数回成功しているわけだ。今じゃ大問題だし、カメラがすぐに悪ガキを捕えるのだが、ゆるい昭和のスーパーはビギナーの窃盗犯を早い段階で数人誕生させていた。
今では高性能のカメラと、万引Gメンで一撃アウトだし、もちろん、その行為は全く褒められたものではない。
金銭的に恵まれていない家庭が多くあったが、万引をしてまで何か物欲があったわけではない。単なるゲーム感覚とビックリマンの魅力が万引団を生み出した。
その流れを忘れられないある友達は、手癖が悪いと噂になるぐらい駄菓子屋で万引きを繰り返し、駄菓子屋のおばちゃんに駄菓子屋横の狭いコインランドリー先まで追い込まれ、あえなく捕まっていた。捕まっている横で、別の友達はパンパンに空気が膨らんだうまい棒を他人のケツに突き刺し、開封するという荒業を100%の笑顔で披露していた。オレはニヤニヤしながらその全景を楽しんでいるタイプだった。捕まるあいつも下手くそだし、その横でうまい棒開封に全力な友達を微笑ましくも幼稚だと感じていたと思う。
中学になっても万引きは遊びの一つだった。
仲間の窃盗レベルも上がり、目を付けた獲物は逃がさない体制が整っていた。
ふざけたお題の乗り方だが、当時の本人たちは明日をスティールされるぐらいなら、チームを組んで現状を打開しようともがくものだ。もちろん推奨はしないが、現状は書いたとおりだった。
貧乏エリア特有のチーム形成。
「だいじょ〜ぶだ〜♪ドドッんドン♪」
魔法のコトバを呟いていたかはわからないが、
自信という過信に若者は支配されるものである。
まんびき団【中学生編】につづく。
<写真>
昭和54年頃・大分別府・坊主地獄。
じいちゃん、大久保ばあちゃん、母親とともに。
苦しんでいる人に向けて多くのメッセージを届けたい。とりあえず、これから人前で話す活動をしていきます。今後の活動を見守ってください(^^)