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バイとバイとの息子(A)
生まれた
昭和52年渋谷の松井医院。
大好きな両親からオレは生まれた。
ずっと新宿で育つことになる。
小学校5年生まで住んでいた新宿六丁目、最寄り駅は最寄りになく、新田裏というバス停が唯一の交通手段だった。
新大久保駅と新宿駅の狭間にある悪いとこ取りの立地だった。
歌舞伎町には徒歩か、自転車だ。
酔っ払いがいるとタクシーだ。
金物屋、天ぷら屋、スーパー、催事場、ペットショップ、乾物屋、お茶屋、クリーニング店、寝具店、肉屋、八百屋、理髪店、花屋、駄菓子屋、酒屋、居酒屋、パン屋、お豆腐屋、テーラー、保育園、美容室、、、
昭和ならではの活気が近所の商店街にもあり、街としての魅力は十分備えていた。
両親バイセクシャル
オレは、
バイセクシャルな母親39歳、
バイセクシャルな父親40歳、
当時としては高齢で生まれた一人息子だ。
バイセクシャルという枕詞は社会人になるまでオレの中には存在しなかったが、あとあと両親共通の知人から当時勤めていた会社の社長と一緒にいる時に聞かされた。ふざけている訳ではなく狂おしい事実だ。
「母親は女に走った時期がある、父親は両刀だ」
かなり抵抗力のある人生を歩んできたつもりだったが、その情報通知はかなり動揺した。通知された次の日、酒が入っていたこともあり、すぐに父親に確認した。
父親は恥ずかしそうに激怒していた。
悔しがっていた。
「大久保ばあちゃんがいたら、そんなことオレに言わせないのに」と。
母親が経営していた屋台エリアをその時仕切っている女性から聞かされたので、昔、そのエリアを仕切っていた「大久保ばあちゃん」が生きていれば、こんな下手は打たないのにという意味だ。
昭和の歌舞伎町の片隅で威勢を張って生き抜いた女侍、圧倒的な存在感の大久保ばあちゃんの話は後で詳しく書くことにする。
バイセクシャルはそんなに珍しくないが両親共にバイは珍しいらしい。
<TOP写真>2013年12月・千葉県匝瑳市吉崎浜
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