探究する世界 #私と世界
#自己紹介と前置き
初めまして(の方が多いと思います)。神保町でオトナのための学びの場「Co Learning Space みらい研究所」を開いております、後藤と申します。
金曜日担当の寺口さんにお声がけいただき(そして、お声がけいただきたくお声がけさせていただき)、この様な機会をいただきました。#私と世界 というテーマでほかの皆さまも結構色々な視点から書いていらっしゃり、日曜日に自分の番が回ってくるとどうしてもハードルがたけぇな・・・と思っておりますが、頑張ります。
このテーマをいただき、最初に思ったのはこれまでの海外体験を振り返って書くということでした。2006年に10か月ほどドイツ留学をし、その当時の友人を訪ねて、韓国と台湾へ2泊ずつくらい旅行。その後はしばらく海外には出ていませんでしたが、2012年にサンフランシスコに社会投資のカンファレンス聴講に訪れた以降は、アジアを中心に色々と周りました。2015年には8か月ほどタイ・バンコクでのお仕事をいただき、その後3か月ドイツでのんびりと起業準備をし、それからは中国をメインに旅行にいっているというのが僕の海外経験です。
でも、他の皆さんの記事に触発され、単なる体験記じゃ面白くないと思ってしまったので、訪問した世界のことではなく、僕がどう世界を見ているか、について書いてみたいと思います。
#原体験はRPG
今回改めて考えてみると僕が世界を探求していくという感覚を持ったのは、小学校2年生くらいに初めて遊んだドラゴンクエストとファイナルファンタジー(確か、どちらも5が同時期に発売になったんですよね)だと思い当たりました。
RPG(ロールプレイングゲーム)を遊んでいると、最初はレベル1でスライムにさえ、油断するとやられそうになる。自分の世界は旅立ちの村とその周辺だけで、それはとても狭い。それが、次の村に行くと新しい出会いがあったり、橋を一つ渡ると格段に強い敵がでてきたりして、自分も少しずつ強くなって行きながら、「世界」が拡がっていく。そして、世界地図を手にいれたら、どこに何があるんだろう、どうやったらいけるんだろうってワクワクするという感覚がすごく楽しくてずっと遊んでました。※画像はドラゴンクエスト3の世界地図
そして、リアルに海外に行くようになっても、やっぱりRPGで遊んでるワクワク感を感じながら、世界を探求しているという実感があります。
#そして現実へ
もちろん、オトナになり、自分の考えができ、想いが確立してくると、この世界の探求を通じて、自分の考えや想いにリアルなフィードバックが起こります。ゲームの世界から得られるフィードバックも結構大きいとは思うんですが、やっぱり実生活やビジネスに直結するリアルな世界の拡がりや情報はその比ではない。そして、何よりもどこまでも深く、ディープに探求ができるという点が素晴らしいのです。
例えば、2泊3日で上海へ旅行したとする。その限られた40時間くらいの時間をフルに使って、自分自身の経験値を得ようと僕は頑張るのですが、それでも、一つ一つの裏路地に入り込むことはできないし、「村人」一人ひとりと会話することもできない(中国語もできないし)。
でも、その中でも何かをつかみ取ってそれをまとめ上げることもできる様にどんどんなっていく。そして、さらに疑問が生まれて、もっと知りたいこと、埋めていきたい世界地図の空白が生まれていくのです。
#自分の小ささを実感する
そうやって、どんどんといろんなことを探求していくと、ふと自分自身の小ささにも思い当たります。たった40時間でその土地のことを少しだけ分かって、でもまだまだ知らないことも沢山あることも同時に分かって、しかもまだまだ訪れたことのない土地が、もうそれこそ一生かかっても訪れきれないほどあることも当然で・・・
それを実感してしまうと、ふと自分の普段の生活を見渡した時に、そこに拡がる世界のことも全然知らないじゃないかと気づいてしまうんです。今住んでいる家から駅に行く道の一つ裏通りさえ覗いたこともなかったり、神保町で新しくどんなお店ができて、どんなお店がその前にはあったのか、なんてことさえ、全然知らない。
それなのに、国境を越えて、世界を旅して、ちょっと知った気持ちになって楽しいなぁって思ってる自分がいる。本当は自分自身のことだってよく知らないかもしれないのに、世界をみていい気になってる自分ってどうなんだろうとまで思えてくる・・・
そして、そうやってぐるぐると考えてると、たぶん神保町を探求していくことも、世界のいろんな国を探求していくことも、はたまた自分自身を深く見つめなおしていくことも、結局はおんなじことなんじゃないか、ってそんな気持ちになってくるのです。
#探求するべき 「世界」
きっと、人にはそれぞれ自分の「世界」があって、それは、能力的な制限がある場合もあるかもしれないし、知識がないから知らないだけな場合も、あえて拡げていないだけな場合もあるかもしれない。
ドラクエの話だとすると、最初の村で、ずっとスライムと戦い続けている人もいるかもしれない。でも、それでその人が幸せなのだとしたら、それを他人がどうこう言うものでもない。実際、僕の親父はドラクエ5の最初の洞窟で、なんども倒されながらスライムだけをひのきのぼうだけで倒し続けて、レベル6まで上げてたし(その時にはどうの剣を買うお金も貯まってた)、たぶん、一生そのままやっていて楽しいという人生も正解だと思うんです。
ただ、それだけだと、例えばまさにドラクエ5の様に最初の村が滅ぼされたりしたときに、幸せが壊れてしまった時に、どうしようもないから、たまに「今の世界」の外を眺めてみる、そこから何かを取り入れてみるということも必要だと思います。後はそのバランスでしょうか。
僕自身は、今の世界と外の世界のどっちも半々くらいで探求しているなぁ、と自覚しています。
さぁ、皆さんはどうでしょうか?
#さいごに
初めてnoteを使ってみたので、見やすさとか長さとか分かりにくいところとか色々あるかもしれません。そんなときはそっと耳打ちしてください。気づかない間に改善されているかもしれません^^
そして、この様な機会をいただき、寺口さん、他の曜日のまだお会いしたことのないみなさん、どうもありがとうございます!!これからも素敵な記事と素敵なコミュニティを楽しみにしています!
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