人生は、パーティーだ。
もしかしたら人生は思うようにいかない事の方が多いのかもしれない。
しかし、思い通りにならないからこそ、そこには唯一無二のキャリアが存在する。
自分は今ある自分を誇りに思いたいし、その誇りを証明しなければいけない日が間もなくやってくる。
■いびつなキャリア
自分はプロレスラーとしては非常にいびつなキャリアを辿ってきた。
そしてそれ以上に、大学卒業以降、いびつな人生を送っている。
いびつ=歪
歪んだ人生かどうかは他人が決めることかもしれないが、キャリアの積み方は普通ではないだろう。
■高木三四郎氏との出会い
自分の人生の節目節目には、常にこの人が居た。
ともすれば、高木さん本人は何も感じていないかもしれないが、自分にとっては大きい存在だ。
学生プロレスに勤しんでいた大学生時代、
ある日突然Twitter上で絡んでいただいたのが知り合ったキッカケだ。
後にそのTwitterアカウントを削除したのも、高木さんの命だった。
今思えばこれも何かの因果なのか。
学生時代はDDTプロレスでバイトさせていただいた。
社会人になってから会社を辞めようか悩んだ時も高木さんに相談した事を鮮明に覚えている。
その後、プロレスキャリアの大きな分かれ目にもなったWRESTLE-1への参戦も、高木さんが道を作ってくれた。
とても感謝している。
同時に、高木さん本人は覚えていないかもしれないけれど、トラウマになったような辛辣な言葉や原体験もそこにはある。
今、自分が組織を率いる立場になって理解出来る事もあれば、今でも「それは違うだろ」と思う事もある。
その原体験が自分のエネルギーにもなっている。
「何クソ」という気持ちは、いつも自分を揺り動かす。
■選手としての思い
これは潔く言えてしまうのだけれど、
自分はプロレスラーとして、プレイヤーとしての資質とセンスはあまりない。
一方で、後述するように選手を育てたり、スターを発掘したり、彼らが輝くコンテンツを創り出す自信とセンスはあると自負してある。
プロレスラーとしてはネジが何本も外れた、社会的にダメな人間の方が向いている。
そういう意味では、今回同じコーナーに立つ石川修司選手はネジが外れていない至極真っ当な人間性を持ち合わせている。
自分のプロレスデビュー戦の先輩だ。
石川さんは同じ団体に居た頃から、真面目で誠実な人間性を持ち合わせ、自分はリスペクトを感じていた。
一方で、前述した通りネジが外れてないがゆえにハネるまでにキャリアを費やしたかもしれない。
それでもひたむきに努力されて、メジャーと言われる団体で結果を出し続けた事に選手としての大いなるリスペクトがずっとある。
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大家健さんはまた特別な存在だ。
先輩だけれど、自分の中では何か「戦友」だと思っている。
自分が選手として輝き、一所懸命にリングに向き合った数少ない期間の中で、大家さんとはよく闘った。
良くも悪くもバカ正直で、熱いスピリットをいつも感じる。
自分の本音を引き出してくれる数少ないプロレスラーだ。
■WRESTLE-1での学び
いくつかの媒体でのインタビューでは話しているけれど、
自分は2016年~2019年にかけて「WRESTLE-1」というプロレス団体でいわゆる“中の仕事”をしていた。
これは前述の高木さんからの紹介とはまた別のルートで運営側の仕事をさせていただく運びになった。
この期間の学びが、今の自分を大きく形作っている。
いわゆるメジャーと呼ばれる系譜の団体の台所事情をリアルな数字と共に体感し
プロレスビジネスの厳しさと可能性を肌で感じる事が出来た。
同時に、“有り得ない感覚”を持ち合わせる人がこの業界には多く居ることも反面教師として沢山学ぶ事が出来た。
そんな中で、大和ヒロシ選手は(リングの上の変態性はさておき…)仕事という面においてはとても誠実で社会的常識を持ち合わせている。
プロレスビジネスは「空中戦」と「地上戦」だ。
世の中にバズを生み出すのが「空中戦」だとすれば、コツコツと一人一人の顧客を掴んで行くのが「地上戦」だ。
大和さんとはWRESTLE-1時代に、一緒に地方大会の営業に出て、見ず知らずの土地で一件一件頭を下げてポスターを貼らせていただいた。
そんな営業職の新入社員ばりの労働が、興行ビジネスの基礎になっているという事は、体験した人にしか分からない。
後の項目で書くかもしれないけれど、
プロレスビジネスは放映権ビジネスの余韻に浸り過ぎた。
その名残にしがみついている関係者や、その感覚を引きずってしまっている業界人が多く居ることを肌で感じた。
足で稼ぐ。
そんなビジネスの原体験を大和さんと一緒に感じた時期は一つの財産だ。
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「地上戦」から戻れば「空中戦」を作り上げる試行錯誤の時間が待っている。
同時に「数字」という現実に向き合う大切な時間だ。
カズ・ハヤシ選手は、当時WRESTLE-1の社長という肩書きを任され、自分も一緒に多くの会議を共にさせていただいた。
数字に向き合うと同時に、一人の男としての覚悟を肌で感じる事が出来た。
特に団体の末期は「絶対に団体を潰さない」という気持ちがオーラと共に身体から解き放たれていた事を覚えている。
僭越ながら、犠牲や学びを共有させていただいた時間をは人生にとってとても貴重だった。
あと、ハヤシさんとは家が近い。たぶん。笑
■PPPTOKYOと今。
そんなキャリアを経て、「PPPTOKYO」というイベントを始めた。
PPPTOKYOというコンテンツに対しての想いは語り切れない。
また別の機会に書きたいと思う。
それでも少しだけ触れるとすれば…以下所感。
初めは一つのイベントであり、プロモーションだった。
ただ、始めた当初も今も変わらないのは
・世の中の人をアッと言わせる事がしたい。
・初めて見た人がまた見たいと思わせるコンテンツにしたい。
という事だ。
自分は見に来てくれた人たちが笑顔になっている瞬間が大好きだ。
PPPTOKYOの理念の一つに
「感動を創り続ける。」
という精神は、イベントを始めた初期の頃の思いに端を発している。
イベントを創り上げる過程は苦しくも楽しい。
次第に仲間が増えて、公演の頻度も増えた。
一つのプロモーションが、一つの団体に変化していった。
数年前ですら、今の自分を想像出来ない。
プロレスが大好きだった少年時代の自分は、まさか今のような人生を歩むことなんて思いもしなかっただろうし、
一つの成れの果て…でもあるのかもしれない。
夢が叶わなかったけれど、ここには新しい夢がある。
色んな経験をしてきたけれど、
きっとずっと変わらない事は
プロレスが好き。
ということだ。
プロレスというコンテンツが秘めている可能性も、化ける可能性も、めちゃくちゃ感じているから今も続けている。
同時にプロレス“業界”の色んな側面を見てきたからこそ、今がある。
そして、“今”に少しだけ自信がある。
そんな“今”を形作ってくれた、自分の人生にとって大切な人たちとの試合。
Life is Party.
人生は宴である。
愛と感謝を込めて…
さあ、パーティーを始めよう。