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金芝河氏の49日忌に参加して

◎韓国の抵抗詩人金芝河氏の49日忌

去る5月8日に死去した韓国の抵抗詩人金芝河氏の49日忌が6月25日、ソウルで行われた。場所は日本人にとっても親しみのある骨董街で知られる仁寺洞の教会の講堂。午後3時からの行事には、早くも二時過ぎから献花のための人々が集まった。当日は人々がうんざりするほどの猛暑で、6月でありながら、30度を超えていた。中央のスクリーンには金芝河氏の作品が描かれていて、その右には金氏の在りし日の顔写真が映し出されるという演出だ。日本でいうと「しのぶ会」というのだろうか。ただ日本と違って会費はなし。おそらく発起人に名を連ねた約20人の人々が協力したようだ。司会者の説明だと、予想をはるかに上回り、参加者は約1000人を超えた。400人程度の収容可能な教会だが、教会前の広場に準備された簡易テーブルと椅子にも人々が集まった。参加者の多くは金芝河氏を知る人々、つまり高齢の人々が多かった。

 私が金芝河氏に初めて会ったのが73年9月のこと。金大中拉致事件の直後で、拉致事件の真相と韓国民主化運動を取材するために訪れたときだが、すでに金氏は抵抗詩人として日本では有名な存在だった。71年にはすでに金氏の本が日本で発売されていた。韓国l民主化運動のシンボルとしては政界では金大中、文学界では金芝河といった具合だった。1965年に日韓条約が締結後、国交正常化されて、当時は観光客(大部分は男)が韓国に行き、旅行社の案内で妓生観光にうつつを抜かしていた。この現実に金芝河氏も批判していた。私がソウル五輪取材で訪れた88年当時ですら、インタビューに応じてくれたロッテグループの総帥だった辛格浩会長もロッテホテルのエレベーターのなかで「日本人観光客が前夜の妓生の話を大声で話し合っているのを聞いて忌々しい思いをした」と私に吐露したことを今でも思い出す。金芝河氏も最初のインタビューで妓生観光の破廉恥さを吐き出していた。

 今日(25日)の行事は「金芝河詩人・追慕文化祭」というタイトルで、多くの人が参加した。民主化運動を共にした人、詩人の後輩、作家黄暫映氏、キリスト教会で民主化運動を進めたハンセウン神父など。73年末、民主化運動を進め、金芝河氏と一緒に死刑宣告をされた当時学生だった李哲(元国家議員、元韓国鉄道公社社長)や柳寅泰(元国会議員、文政権で国会事務総長)や張栄達(元全羅北道友石大学総長)だけでなく、在日韓国人政治犯として不当に韓国で20年以上服役した徐勝氏(友石大学北東アジア平和研究所理事長)らの多くの姿をみかけた。そのなかで70年代初めから金芝河氏の本を出版して、韓国民主化運動の実態を日本人に知らしめたと評価された元編集者宮田毬栄さんの姿もあった。

彼女元中央公論社の編集者で作家小田実氏ともに、「金芝河釈放運動」をすすめていた。今日の追悼挨拶で「金芝河さんが沢山の作品を送ってきたので、翻訳に回すのが忙しく、自分で韓国語を勉強する時間がなかったと後で自由の身になった時に直接冗談のようにいうと、金芝河さんは、いや、申し訳ない。今後は大丈夫。自分が日本語を勉強するからといってくれました」と語っていた。
wrote by masaki tachikawa

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