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097 期待というもの

「期待」は、結構扱いが難しいなと、私は思うのです。

例えば、私が息子がバイトに行くのに、どんな期待をするか、選択が生まれます。
(1)「遅刻せずにバイトに行ってほしい」
(2)「バイトに遅刻しようがどうしようがどちらでもいい、ただ、自分の人生を存分に生きてほしい。困ったらいつでも手伝うよ」

(1)を選ぶとき、
「私が安心したい」ので息子は「私の”期待”どおりの行動」をすべき、という意図が紛れ込みます。

(2)を選ぶとき、
「何が起きても、あなたのことを信頼している、愛している」という意図が背景にあります。

私は、注意していないと、「期待」という言葉を使いながら、相手を操作してしまうのです。

振り返れば、献さんと重子さんを福岡にお招き始めたのは、2018年。

その頃の記録を見返してみると、操作としての「期待」を持っていたなと思います。
福岡にNVCを広げるには、みんなにNVCに感動してほしくて、その感動を生んでくれる講師として「献さん」と「重子さん」をお招きしていたのです。

人間として、お二人を見れてなかったな、と思います。

長く接するうちに、「お二人ともが、強さも弱さも優しさもある、ただの人間であり、精一杯分かち合ってくれてるんだなぁ」という実感が生まれるようになりました。

2023年、夏

福岡で合宿をやりたいと、動き始めました。
喜びから分かち合いたいエネルギーを私がしっかり抱きしてめて、チームのみんなと、準備を続けたいと思います。

出来得るなら、「献さん」と「重子さん」を、
操作としての「期待」ではなく
信頼と愛に裏打ちされた「期待」でお迎えできますように。

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