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011 すべてのニーズを満たそうとして迷走する
生きて行くってことは
とてもむずかしいから
ただ日を追えば
いいのだけれど
時にはとても
つらいから
弱い人たちは
とくに弱い人たちは
かなうことのない
夢を見るんですよ
011 すべてのニーズを満たそうとして迷走する
ワークショップの途中、あるいは、多くの人の集まる場で何かを決める時、沢山の人のそれぞれのニーズが場に現れます。
ワークショップの場を例にしましょう。
「NVCの基礎」をテーマとして場を開きます。
すると、参加者の多くは「NVCの基礎」を学びに集まります。
しかし時折、「個人の痛みを抱えていて、なんとかしたくてワークショップを渡り歩く人」も参加します(過去の私のように)。
ワークショップの途中、質疑応答や感想を述べる時に、痛みを抱えた人が、自分の痛みを語ることが止まらなくなることが起きます。
ファシリテーターとしては、ここで選択を迫られます。
(1)「NVCの基礎」を学びに来ている人達の「学び」のニーズを満たす
(2)いま目の前で痛みを訴えている人への「共感・癒し」を満たす
(3)両方のニーズを満たす方法を模索・創造する
●この場合、最もうまく行ったケースは、「痛みを抱えた人に緊急共感を試みる」→「痛みの緩和・解消が起きる」→「共感の具体的な事例として解説する」です。
●最もうまくいかなかったケースは、「痛みを抱えた人に緊急共感を試みる」→「痛みがある人の痛みがさらに強くなり、共感の時間が終わらない」→「学びたい人たちがうんざりしたように見える」→「緊急共感が継続して終わらない」です。
このように、同時に、複数のニーズが出ていて、すべてを満たす方法がない場面は頻繁に生じます。
もっと違う局面を挙げてみます。
・会場でコロナ予防のためマスクをする/しない
・宴会でタバコを吸うのを認める/認めない
・職場で私語を許す/許さない
・子どもが学校に行かないことを受け入れる/受け入れない
本当に多くの場面があります。
このとき、私が念頭に置くのは「すべてのニーズは等しく大切だが、すべてのニーズが満たされるとは限らない」(ロキシー・マニング)です。
全てのニーズを同時に満たすことは、出来ないことが多いのです。
そこで、私には選択がある。
より多くの「人の」ニーズを満たすであろう道を選ぶこと
より多くの「私の」ニーズを満たすであろう道を選ぶこと
常に天秤は揺れ、神ならぬ人の身、悩みは尽きません。
ただ、言えるのは、選ぶこと、選んだことへ応答・責任(response+ability)を持つこと。
嘆きながら、喜びながら、生きていく。
そんな日々です。
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