恋愛備忘録|わたしを叱るひと
わたしは今まで、朝から晩までとにかく仕事、退勤後でも平気で残業をし、休みの日すらも職場に顔を出す、というワーカホリック気味の生活をしていた。
転職をしつつも、長く接客販売業をしているから、暦通りでも時間通りでもない生活がごくごく当たり前になっていて、何の疑問も抱かなかった。
日々のメッセージのやり取りの時間もバラバラで、「今日は休み」と申告した日にも「昼間ちょっと職場に顔を出した」なんて言い、「今日は早番」と申告した日の夜中に「おうち着いた」なんて言っていたら、さすがに誰でもその異常さに気付くだろう。しかもその間に何度も体調を崩している。
何度目かのデートで、めちゃくちゃ叱られた。
「体調崩してまで働く意味ないから! 退勤後に働く意味もないから! 残業代は? きちんと貰ってるの? は、貰ってない? ますます意味が分からない! 休みの日に職場に顔出すのもやめなさい! 休みの日は仕事を忘れて休むの! 体調が悪い日は休む、治すに専念しなさい!」
ごもっともである。
以来わたしは休日に職場に顔を出すのをやめたし、できる限り残業は控え、どうしてもスタッフが足りないときはきりが良いところまでの残業にとどめている。
けれどそう上手くはいかない日もやってくるのである。
深夜からお腹の調子が悪くなり、脂汗を流しながら苦しんだ朝。彼の助言を聞くのであれば、休みを取るべき日。わたしはどうしても出勤しなければならなかった。
その日の開店準備は上司とわたしのふたり。上司ひとりで開店まで持って行けたとしても、そのあと確実に店が回らないのである。それくらい、わたしの職場は広かった。
上司に連絡を入れると「開店準備は全部するから来てほしい」とのことだったし、早めに出勤してもらえる可能性がある先輩は深夜のため折り返しがなかった。
ひーひー言いながらもどうにか開店に間に合わせると、開店と同時に出勤するはずだったスタッフが寝坊して不在という状況。
上司に手厚くサポートしてもらいながら店を回していると、起床してメッセージを見たらしい先輩が駆けつけてくれて、寝坊していたスタッフもなんとか到着し、わたしは二時間ほどで退勤することになった。
恐らく急性の胃腸炎だったのだろうけど、幸い翌日は公休だったし、たっぷり寝て回復し、その翌日には職場の笑い話になった。
わたしが腹痛で「ひーひー」言っている間、普段事務所でのんびりしている上司が「ひーひー」言いながらひとりで開店準備をし、先輩がわたしからのメッセージを見て「ひー!」と悲鳴を上げ、店からの鬼電で起床した寝坊スタッフも「ひー!」と青ざめた。
普段健康体ではないものの変則連勤もこなしていたわたしが腹痛で動けなくなっていた日に、寝つきも目覚めも良い先輩はその日に限って家族の帰りを待ちリビングで寝落ちしてしまいメッセージにも気付かず寝こけており、一度も遅刻したことのないスタッフは初めて寝坊した、なんて。
不運が重なり、とても滑稽になった日だった。
という話をしたら、彼は烈火のごとく怒った。
「そんな日は仕事行かなくていいの! そこまで無理してどうするの! 優さんが行かなくてもなんとかなるから! しかも胃腸炎で! ウイルス性で他の人に移ったらもっと大変なことになってたんだよ!? それこそ店が回らないでしょ!」
「前夜に食べたヨーグルトがよくなかったのかなって思ったんだもん……」
「賞味期限は?」
「期限内でした……」
「じゃあ違うでしょ! そもそもそこまで体調崩したなら、ヨーグルトじゃないから! 病院は?」
「土日だったから……」
「なんで! 優さんは! 絶対よくないことばっかりするの!!」
「ごめんなさい!」
字面だけ見ると彼が怒り狂い、わたしがとても反省しているように見えるけれど、実際わたしは大笑いしていたし、彼は呆れて苦笑していた。
それでも、とても有り難いな、と思う。
大人になってから、ここまでちゃんと叱ってくれるひとはいない。ワーカホリック気味なことも、自分の体調に無頓着なことも、すっかり麻痺してしまって、それが普通のことだと思っていた。
でも彼は「それはいけないことだよ」と叱って諭してくれるのだ。
本当に、有り難い存在だ。
そんな一連の笑い話を職場の後輩の男の子に聞かせたら、普段飄々としているその子はいつになく真面目な顔をして「その人を選んだほうが良いっすよ」と言った。
「俺らは普段、優さんってほんと社畜だねって笑うだけですけど、その人は優さんを心配してちゃんと叱ってくれる。絶対、その人を選ぶべきです。良かったっすね、いいひとに出会えて」
後輩の男の子がそんなことを言うなんて想像もしていなかったから驚いたけれど、わたしは返事ができなかった。
現状、彼とわたしは付き合っていないし、この先どうなるかも分からない。
けれどこの「有り難い」関係を「当たり前」だと思わず、大事にしていきたいな、と思っている。