怒りや痛みに、あとから気づくことについて。
ぼくは、あとから自分の感情に気づくことがよくある。
例えば自分が納得できない、特に理不尽な回答が返ってきたときに多い。
あとは無作為に自分や自分の周りの人たちを傷つける言葉が投げかけられたときなど。
「ああ、もっと強く主張すればよかった…」
「考えれば考えるほど、納得いかないし、あれはひどい!」
のように、あとから振り返ってムカムカすることがある。
そしてそのときに気づく。
「ああ、自分はあのとき、実は怒っていたんだ」と。
でも大体、後から気づいても、もはや言うべきタイミングを逸していたり、「今更言っても…」と自分でブレーキをかけてしまう。
こういったことは「怒り」とか「悲しみ」とか、いわゆる「痛み」の感情のときによく起こる。
(たまに「よく冷静でいられたね」と言われることもあるが、そんな時はこれが起きていて、後から一人で悶々と後悔をしていることがある。)
後から悶々とするのは嫌だし、嫌だとか悲しいと感じたことについては、なるべくその場でその感情を発信しておきたい。
その方がたぶん、健康だ。
■「それでも」を考えてみる。
「それでも、今のままの方がいいのではないか?」と問いを立ててみる。
今のままだとどうなるんだろうか。
というか、その瞬間って、そもそも自分は何を思ってるんだろう。
「なんで、この人はこんなことを言うんだろう」
「そんなことを言う背景ってどんなものなんだろう」
「この人は本当は何を得たいんだろう」
たぶん40%はこんなことを思っている。
「あー、これ自分がムカつくパターンだな」
「怒るの嫌だよー」
「精査しない言葉を使ってしまうことで、あとで落ち込みそう)
うん、これも40%くらい。
ぼくは基本的に感情が揺れ動くことを好まない。ポジティブでもネガティブでも、どちらも。自分の中で何かの抵抗が働くようだ。
「えー、この場で怒る勇気ねえーー」
「ドキドキしちゃうよーー」
「いや、ほら周りも見てるしね…」
これも20%くらいある。
結論。今のままでいても、たぶん何も起きない。
ヘタに相手と対立しないから、もしかしたら妥協点の糸口を見つけられるかもしれない。
きっと大声出したりしないし、注目を浴びないで済む。
自分で自分に落ち込むこともなさそうだし、ドキドキすることもないだろう。
だけど、本当にそれでいいのだろうか?
先にも書いたけど、後から悶々として、精神的にはあまり健康的ではない。
この場合、思考と感情、どちらを優先すべきなんだろうか。
書いていて、毎回、怒らなくてもいいんじゃないかという気になってきた。
毎回怒らないのも嫌だけど、毎回怒るのもぼくは嫌だ。
ここぞというときにちゃんと怒りや悲しみを表明できるように、自分の感情に敏感になって、丁寧に取り扱ってあげよう。
「ああ、今回は感情を外に出してあげれなかったな」と気づくことが大切な気がする。
自分の中を通っていく感情を、見つめてあげることが、ぼくにとっては大切だと思いました。
今日のところは、そんな感じです。
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