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【Boundary 境界線】他人の問題は他人の問題、と言う話
気力(よく考えたら体力もだな、と思った)が落ち続ける中でも私の救いになったものの一つはヨガセラピー。
ヨガセラピストになるべく学ぼうとした養成講座では、え?え?!と思わされるほど、実は自分の在り方をよ〜く見つめさせられた。
自分のくせや弱さ、そして強さは良くも悪くもセッションやクライアントの関係性に如実に現れるので。
それを矯正するわけではないんだけど、一つ一つに気づいていくことが大事で、もちろんこれも現在進行形、もしかしたら一生かけて取り組むことなのかもしれないと思ってる。
ただ、そんな中でも変化に気づいたことがあったので今日はこれについて書く(どんな意思表明笑)。
私はエンパスでHSP。
↑検索で一番上に出てきたサイトを拝借。
(ついでに言うとHSS型なので、アクセル全開で突き進むのに、3秒後にはブレーキを踏みたくなる、この繰り返しで疲れ果てる。TriDoshaでもあるし、本当に面倒臭いタイプ。)
だから特に人間関係のあれこれを、うっかりすると必要以上にクヨクヨと思い悩んでしまうし、LINEおくったりする文面も、小さなことや言い回しが気になってツボに入ってしまうと一生文章を考えたりしてしまうことがある。自分を守るために起こりうる全ての最悪なシチュエーションをシミュレーションすることもよくある。
今年度、娘の中学部活の父母会長をしているのだけど、
LINEで保護者から連絡が来て、咄嗟に「どんな厄介な質問が?」「何か厄介なことが起こったのでは?」と考えてしまって心臓がどきーーーーーーんとなることが何回かあった。そして、心の用意ができるまでしばらく寝かせてみたり(既読しない)、薄目で文章読む、みたいなことをする、っていう。
(実際には自分が思うほど嫌なことは起こらないって言うことを知る練習にもなったし、何かを間違えても、糾弾されたり非難されまくるようなことも起こらなくて、他人がは自分が思うほど自分の行動に興味はないなと思ったり、みんな優しいなと思ったり。)
とにかく、人との争いとか、小さないざこざとかが私にとっては心臓がギュッとなる、エネルギーを持っていかれる本当に苦手なことなんだけど。(得意な人はいないか。)
ヨガセラピーの学びの中で、境界をしっかりひく、クライアントの悩みはクライアントの悩み。って言うことを学んできた。
講座の最初は、誰かが泣くと自分も泣いたり、セッションの中で出てくるクライアントの悩みや感情に自分も巻き込まれたりすることがとてもよくあった。
人はそれを思いやりというのかもしれないし、共感したり、一緒になって味わうことが大事な場面もとてもあるのだと思う。
だけど、余計なことや、自分が変えることができなかったり、自分が関わる必要のない問題に片足を突っ込んで巻き込まれて、苦しくなってしまうっていうことを多くの人が無意識のうちにやっているんじゃないかな。
そんな中、部員の1人の親から「部活を辞めたい」という連絡があった。
少し前の私だったら、「私が至らなかったから」「娘(キャプテン)が至らなかったから」「どうすれば防げたのか」
ってパニックになったり、取り繕おうとしたり、問題解決のために躍起になったり、はたまた「ウェーン🥺、やはり私ではダメか😭」ってなっていたと思うんだけど
ものすごく冷静に「そうなのか。」と思うだけの自分がいて驚いた。
辞めたいのも、辞めると決めたのも、その子の問題だからね。
それ以上でもそれ以下でもないから。
例えば、もしそこに何か解決しなければいけない問題(いじめとか、改善できるような可能性のあること、とか)があるのであって、それを部で取り組まなければいけないっていうような事例なら別かもしれないけど。
(それだって、部の問題であって、”私”の問題ではない。)
そういう、自分とは関係のないことを切り離せるようになったってことは、私にとっても大きな収穫だし、
そういう見方を身につけられたら、楽になる人はすごく多いのにな、って思っている。
(この話はリアリティチェックの話に続く、と思う。)
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