やわらかくて温かい、傍にあるもの

「かえでがおか農場のなかまたち」
という1冊の絵本がある。
作ったのはアリスとマーティンという名のプロヴェンセン夫妻。
彼らには農場があり、そこで暮らす生き物たちについて書かれている。

たとえば、オスヤギのサムにはこわいものがなにひとつなく、ときどき柵を壊して人間を怒らせる。
なぜ、ひとがそれを嫌がるのかといえば、もう一度柵を作り直さなければいけないし、バラを食べられてしまうから、花もトゲも、ぜんぶ。

サムにはともだちがいて、それはヒツジのメエ。毛を刈られるときには恐怖で気絶してしまう臆病なメエをいつも守っている。

かえでがおか農場には4匹の猫が暮らしていて、中の1匹はとてもうつくしいのだけれど、遊ぶこともけんかすることも嫌いなので、1日中じっとしている。
見ていてもつまらない猫。

ほかにもウマ、メンドリ、オンドリ、ウシ、ブタ、イヌ、ガチョウ、それから農場の仲間ではないけれどすぐそばに暮らす野生の動物たち、今はもういないかつての仲間についても語られる。

どの生き物にも、それぞれの性質があり、その多様さといったらない。
人間は動物たちに助けられ困らせられながら、動物同士もありのままを受け入れ合い、暮らしている。

農場というひとつの限定された世界を描いたものではあるけれど、ここと似た場所はどこにでもありそうだ。
これは誰かさんに似てる、って動物も見つけられるのではないかな。
共に生きるって、簡単ではないことのようにも思えるけれど、この絵本を開いたら難しいことではないかもしれないって気分になれる、かもしれない。

ひとと動物は違う。
わたしとあなたもまた、違う。
大きく違うところもあれば少しだけ違うところもある。
ガチョウとひととが違うことについて、
いけないこと、おかしなことだなんて誰も言わないだろうけど、ひととひと、ということになると違いに腹を立てたり、悲しんだりする。

小学生の頃、よくEくんの家へ遊びに行った。
ぼくの住んでいた家から、歩けば1時間以上かかる町はずれにあった。
Eくんの家はおじいさんとおばあさんとお父さんとお母さんとお姉ちゃんと弟と、猫が沢山と犬が1匹、牛が4か5頭だったか、ニワトリもいたし、ヤギもいる農場だった。

どんなことをしても、誰も怒らなかった。

鬼ごっこをしていたら逃げているうちに屋根の上を走ることになってしまい、落ちないよう気をつけながら逃げているときも、おじいさんはぼくを見上げて笑っていた。

かくれんぼをしているとき、誰も隠れないところを探していたら牛小屋の藁の中がいいと隠れたのだけれど、鬼が近づいて来たのでそうっと藁から抜け出して、牛のお腹に張り付いて隠れたときも、牛は怒らなかった。

こんなふうに書くと、動物と触れ合うことが好きな子どもみたいだけれど、怖くて触れなかった。
牛に張り付いたのも、Eくんが言ったから。

しっかりくっついて、でないと踏まれるよ、
って。

動物を描いた物語が好きだった。
小学校の図書室にあった椋鳩十の全集は全部読んだ。 
ひとと動物が心を通わせるということに強く憧れた。
後に、ぼくの住んでいた家に犬がやってきて、一緒に暮らすようになるけれど、その前は犬も猫もうさぎも触れなかった。

ある日、Eくんの家に遅くまでいたことがある。
ほかの子たちはもう帰り、Eくんとふたり。
おばあさんが夕食の支度をしていた。
Eくんとぼくはこたつに入り話しをしていると、そこへ1匹の猫がゆっくりやってきて、Eくんの懐に滑り込んだ。
よしよしと、彼は猫に頬ずりをして歓迎する。猫は目を閉じ、気持ちよさそうにしていた。
ぼくと目が合うと、Eくんは言った。
さわってみる?
ぼくは首を横に振った。怖がる姿を見られたくなかったから。
そうかそうかというように頷き、彼は猫の背中を撫でる。猫はうーんと伸びをし、体を丸め、目を閉じた。

気持ちよさそう、とぼくは言った。
猫が気持ちよさそうだったから。

あったかいよ、とEくん。
Eくんはじぶんが気持ちいいということをぼくに伝えた。
ぼくにも味わわせたいと思ったのだろう、気持ちよさそうにしている猫をこたつから追い出し、別の猫の名前を呼びながら部屋から出ていった。
取り残された猫はみーおみーおとしばらく鳴いてから、台所へ姿を消した。

別の猫を抱きかかえて戻ってきた。
あの毛は茶トラというのだろうか、さっきの猫よりちいさかった。

この子だったら大丈夫だから、触ってごらん、こうやって。

Eくんの言葉を信じて、ぼくはその猫の首のあたりを指先で触った。驚くほどふわりとやわらかく、温かい。
思わず、Eくんを見ると彼はにこっとして、それいけと抱いていた猫をぼくの膝にのせた。
飛び退きたいのを抑え、猫を驚かせないよう、ぼくはじっとしていた。
Eくんの撫で方を真似することに集中して。

ここ、こうやって。

言われた通りにすると、ぐるぐるぐると不思議な感触があった。

よろこんでる、猫って気持ちがいいと喉を鳴らすんだよ。

そのことは本で読んだことがあった、どのようなものなのかを知ったのは初めてだった。

あの日、子どもの頃のぼくが感じたことはいまでも、体に残っている。
こうして思い出すと、あのときの心地が蘇る。

触ることを恐れていたのは、相手に拒絶されること、嫌がられること、警戒されることを恐れていたのかな。
あのやわらかくて温かい生き物はぼくが触ることを拒絶せず、嫌がらず、警戒もしなかった。
許されている、ということが深い安堵を与えてくれた。
味わったことのない、安らぎを。



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