2年間
おはようございます。
夏休みもおわり、ちびちゃんの幼稚園がはじまりました。
金曜日、久しぶりにふたりであがたの森を歩き、彼を送り届けました。
ちびちゃんは先生たちに迎えられ、うれしくてたまらない様子。
ひとりひとりのところへいって、からだを擦り寄せ、歓びを伝えます。
あっちにも、むこうにも、好きな先生がいるものだから、とことこ行ってはまた別の先生へ。
そんなちびちゃんをぼくはやさしいまなざしで見守る、というつもりで立っていたのですが、
パパ、もう行っていいよ
と言われました。
家を出るときはママと離れがたく、抱き合っていたのに、ぼくにはあっさりとしたものです。
さて、では、きょうはオオタ先生のことを書きます。
でもなにから書いたらいいのか。
ああ、まず、小学5、6年生の2年間、彼女はぼくの担任でした。
髪型はショートカット。
ここぞという日には、首にシャネルのスカーフを巻きます。
怒られるようなことをしても、怒られませんでした。
だったらと、さらに怒られるようなことをしても、怒られませんでした。
どうやったら、怒るのだろう。
考えて考えて、次から次へと試して、それでも怒られませんでした。
他の先生から怒られると、ぼくをかばって、どんなにぼくが悪くても、いつもぼくの味方をしてくれました。
あるとき、ぼくは尋ねました。
なんで他の人みたいにしないの?
嫌にならないの?
すると、彼女はいいました。
あなたのやってることは、めちゃくちゃだけど、あなたはやりたくてやってるわけじゃないでしょ。
あの頃のぼくは、オオタ先生といるときだけは、じぶんのことが好きだったんじゃないかなと思います。
思っていることを言葉にはせず、思っていないことばかりを言葉にしていました。
オオタ先生はぼくの思っていない言葉を聞きながら、ぼくがほんとうに思っていることを感じとってくれていたのです。
ぼく自身、持て余しているぼくのことを、彼女は受けとめてくれました。
なぜだろう。
それで、いいました。
なんで、ぼくのこと、そんなふうにするの?
誰もしないよ、変だよって。
だからよ。
私がやらなきゃ、だれもやらないでしょ。
ふうん、ってぼくはいいました。
先生にはふたり、子どもがいました。
時々、ぼくはその子たちが羨ましくなりました。
中学校は小学校と近かったので、中学生になってからの放課後、小学校へ遊びに行くひとは多くいました。
オオタ先生に会いに行けばいいのに、先生だって待ってるよと教室で女の子に言われました。
あなただって、会いたいのでしょ、と。
会いたい、とは思っていませんでした。
会いたい、というより、離れたくなかったのです。
1度だけ、オオタ先生の家に電話をかけたことがありました。
中学生活の近況を話すと、彼女は、そうですか、そうですかと明るい声でぼくの話を聞いてくれました。
そうなんだー、ではなくて、そうですか、という声に距離を感じました。
最後に、がんばってね、というひと言は以前と変わらない声だったのを覚えています。
うん、とそれだけ言って、電話を終えました。
あれだけ大きな存在だったのに、役目を終えたとでもいうように、ぼくの人生からあっさりと姿を消し、それ以後、1度も会うことはありません。
ぼくたちはふたりでしかやれないことをやりきったのでしょう。
もう、なにも残っていないのです。
だから、話したいこともありません。
会いたいとも思いません。
だけど、ずっと変わらないのは、離れたくなかったって気持ち。
そういえば、ぼくのしたことに対して、別の教室の先生がぼくを叱り始めると、いつもひょっこり現れました。
すみません、うちの子がー、私からよく言っておきますからー。
ぼくの手を引っ張って、ずんずん歩いて行きます。
そんなとき、彼女はぼくになにもいいませんでした。
ぼくもなにもいいません。
ただ、ふたりで笑って歩いていました。
先生がぼくにしたことは正しかったのだろうか。
他の先生から批判されていることもあったようだし、おかしいですよと親たちから言われることもあったようです。
先生が正しかったのか、間違っていたのか、ぼくにはわかりません。
あの2年間がずっと、ぼくを救い続けている。
それを知っているのはぼくだけなのでしょう。