今日も明日もうたかた
十五夜ですね、こんばんは。
随分と、ここで書くことから遠ざかっておりました。
体調を崩したり、毎日が慌ただしかったり、なにを書こうかなーと考えることもうまくいかないのでした。
なんでもいいから、書けばいいのでしょう。
ここで書くことについては、誰に頼まれたのでもないし、好きなように、思いのままに。
書いていると、いろいろなことを思い出し、記憶の橋を渡りながら、あっちの島へ行ったり、その向こうへ行ったりするのが楽しいところで、それをするには時間と気持ちの、ある状態が必要みたいです。
でもね、ただ書くことが好きで、ただただ書いていたいという気持ちもあるから、書きたいなあ書きたいなあと思っていました。
そんなこの頃。
体調を崩す前に図書館で借りた河出書房新社の日本文学全集、池澤夏樹個人編集の、その枕草子と方丈記と徒然草の入った巻を、熱のある体で読んだところ、びりびりと言葉が染み込んできて、読むとうれしい気持ちになりました。
なかでも、ぼくには方丈記が強くこころに押し寄せるものがあり、なんでこういうものが好きなんだろうなーと月を見ながら思います。
心地よい、やさしい、温かい、美しい、やわらかい、元気にする、たのしくなる、良い、とかいう事柄があり、そのことについて書く。
というのと、
かなしい、くるしい、つらい、にくい、うらやましい、ゆるせない、おそろしい、こどく、きたない、わるい、とかいうことについて書く。
というのが、
対等に書かれているような感じを受けたのが方丈記でした。
どちらかのみを書くのであれば、片目を瞑って書けばいい。
でも、方丈記の作者は両目でものを見るように書くひとだったのでしょう。
もちろん、現代語訳なので、ぼくが読んだのは高橋源一郎訳です。
いまは、こればかり読んでいたい。
わたしがもっているものといえば「こころ」だけだ
って一行を読めたとき、ぼくは飛び上がりたいくらい幸せでした。