自己紹介Ⅰ|海藻の人になるまで
海藻の魅力を発信する「SEASON」へようこそ
こんにちは。宮城県南三陸町で海藻専門店SEASONを営む阿部まさきです。このnoteでは、小さな町から海藻の魅力や、SEASONの裏側をお伝えしていきたいと思います。
地元(高校まで)⇒関東(大学・社会人)⇒地元(現在)という人生をこれまで歩んできました。取るに足らない10代、20代を過ごしてきた自分が、なぜいま地元である南三陸で海藻をテーマに事業をすることになったのか、その道筋を振り返りながらご紹介します。
簡単なプロフィール
1985年生まれ。
宮城県南三陸町の歌津出身。
父は100年前から続く自営業の社長、母は専業主婦、そして二人の妹がいる長男として育ちました。小学4年生までは通信簿に必ずムードメーカーと書かれるほどに活発な子どもでしたが、転校をきっかけに静かな性格に。
中高時代は友人と遊ぶよりも自然の中で読書を楽しむのが好きな、どちらかというと内向的な少年でした。
学生時代
学業も運動も特別秀でたところの見当たらない偏差値50、正規分布のど真ん中にいる平均的な子どもでした。つまり、髪を染めたり、ピアスを開けたり、夜遊びしたりなど非行に走ることもなければ、お勉強ができてお利口というわけでもなく。とにかく、いま振り返っても取るに足りない10代を過ごしました。
内向的な性格もあり、空想することが好きで本や映画への深い愛着がありました。現実は平凡でも、小説や映画の世界は見たことも聞いたこともないものばかり。そのような世界に没頭する時間が何よりも好きでした。
多感な時期に出会った数々の作家や監督たちは、間違いなく自分の価値観に影響を与えてくれました。それは美しいもの、醜いものが何であるか。表現や言葉のもつ途方もない無限性、尊い地球やいのちの有限性など、多くのインスピレーションを作品から受け取りました。
平凡に思える景色も、彼らの目には違って見える世界が広がっているはずで、自分もいつか彼らのように世界を見ることができるだろうか。そのような憧れと焦燥を、少年は抱いていました。
大学は環境保全を学ぶ学校に進学しました。家業の建設業に反発心を持っていたこと、自然にいることが好きだったことが動機の根っこにあります。
社会人としての一歩
大学3年の後半に、まわりは就職活動を始める中、自分はまだ世の中に出たくないというモラトリアムを抱え、大学院に進学することを決意しました。もちろん、研究者の道を歩むつもりはまったく無く、この時間を使っていろんなことを経験しようと考えていました。
大学院を卒業後は、商社の営業職を選択。
良くも悪くも昭和の価値観が残った会社で、お酒やゴルフなど、これまでに経験したことのない社会の慣例や価値観にも触れる機会になりました。大変な時期もありましたが、一緒に働くメンバーに恵まれ、働くことの楽しさと厳しさ、その両方を学ぶことができました。
被災しなかった東日本大震災
社会人1年目を終えるころ、2011年、東日本大震災が発生。実家のある南三陸町は甚大な被害を受けました。家族の無事を確認するまでの不安な日々、そして故郷の風景が一変してしまった現実。しかし、復興に向かう町には新たな希望の光が差していました。
帰郷、そして現在
2017年、帰省するたびに家族からいつ戻ってくるのかという期待と復興する故郷への思いも年々高まり、南三陸町へ戻ることを決意しました。正直、東京への未練がなかったわけではありませんが、一変した故郷をどうにか盛り上げたいという気持ちが勝った結果でした。
そして、そこから阿部伊組に入社し、新規事業を模索することになるのです。
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