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なぜ一部のネットユーザーは過激なのか?

一部のネットユーザーが事あるごとに騒いでいる現象に異様さを感じる人は多いと思う。これは主に3つの要因があると考える。

1つ目は日本人の自己肯定感の低さである。自分で自分を肯定できないため、ネット上で特定の「ワル」を見つけ出し成敗することで「自分は社会に貢献している」という自己陶酔に陥っているのだ。この背景には多くの日本人が特定の神を崇拝する宗教を信じていないということがある。欧米人の自己肯定感が強いのは、自分が神の子なので神から認められて生を授かったという認識を持っているからです。逆を言えば、欧米人にとって自分を否定することは神を否定することになりかねない。その点、多くの日本人は特定の神を崇拝しているわけではないので、欧米人に比べ自己肯定感が低いと言われている。

2つ目は意見の異なる相手そのものを否定してしまうということだ。この背景には日本人が義務教育でディベートを経験してこなかったことがある。ディベートでは、自分と正反対の意見を持つ立場に立って意見を主張することもあるので、意見の異なる相手がなぜそのような思考になったのかを理解することができるようになる。幸い、ぼくは周りのすべての人々の支えにより、ディスカッションを重視する学部に入り、演習でディベートを経験したり、イギリスへの留学時にもディベートを経験させてもらったが、それまでは相手の思考プロセスを理解することができなかった。

3つ目はTwitterのトレンドには特定の分野に的を絞った議論が浮上しやすいからである。これはビジネスを始めるときに顧客の的を絞った方がより的確な販促アプローチがとれて売上に繋がりやすいという構造に似ている。特定の分野に的を絞った議論は、その人たちの中でしか盛り上がらない一方、その分野に自論を持っている人しか集まってこないので、議論が加熱し、結果としてトレンド入りすることになる。

これら3つの要因からネット上の議論は、特定の分野で限られた思想を持った人間による両極端な議論になってしまいがちなのだ。例え、テーマになっていないトピックでは共通の価値観を持っていたとしても、その特定の分野で意見が異なっただけで敵認定・ワル認定してしまう。その「ワル」はもう一方にとっての「ヒーロー」であり、議論が噛み合わないまま平行線が続く。政治で例えると、与党の熱狂的な支持者と野党の熱狂的な支持者の関係に近い。
先日、大阪梅田の商業施設周辺を歩いていた女子大生が上から飛び降りた男子高校生の巻き添えになった事故では、男子高校生が悪い・悪くないの議論がTwitterで巻き起こったが、「こんな議論をして遺族は喜ぶのだろうか?男子高校生を自殺に追い込んだ原因が本当のワルなのではないか?商業施設の建物管理がずさんだったのではないかという議論は起こらないのか?」と思いながら、僕はその光景に異様さを感じた。

最近では、一部のネットユーザーによる自分の正義を振りかざす行為がエスカレートして誹謗中傷などに発展したことが社会問題として浮き彫りになり、ぼく自身もディベートを経験した身として、一人でも多くの過激なネットユーザーの目に止まって欲しいと思いながら、Twitterで自分の考えを発信していたこともあったが、これらのネットユーザーは意見の異なる相手の思考プロセスを考える力が身についていない上に、ぼく自身が社会的に影響のない人間なので、一部のネットユーザーを改心できるわけもなかった。

この経験を経て、現在は義務教育の中にディベートを取り入れること、そして、何より自分が音楽という道で影響力のある人間になるしか他に方法はないという結論に至っている。次回は、音楽のチカラについて話したいと思う。

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