
スペイン・ポルトガル旅行記③
※このnoteは、2日目の様子の一部を記したものです。(長くなりそうなのでいくつかに分けて書いています。前回は下のリンクからどうぞ。)
2024年12月29日 スペイン2日目(マドリード→コルドバ)
この日、午前7時を前にして起床。この季節の欧州は未だ夜の闇に包まれ、辺りは暗黒に支配されている。早朝の覚醒は、マドリード市街を離れ、コルドバへと向かう旅程が控えているためである。コルドバは、アラブとレコンキスタの残滓が濃厚に漂う古都として知られる。
宿泊施設では朝食付きのプランを選択していたため、指定のレストランにて朝餐を摂る。供されたのは、煮豆、ベーコン、焼きトマトを盛り合わせた一皿。いわゆるイングリッシュ・ブレックファストと称される料理である。分量はさほど多くなく、速やかに平らげた。

本日乗車予定の列車は、マドリードの陸の要衝アトーチャ駅を9:00に出発する、Renfe AVLO 2096列車 セビーリャ行き。Renfeとはスペイン国鉄(日本におけるJRに相当)、AVLOとはそのRenfeが運行する座席指定制の格安高速列車(列車版LCC)の呼称である。スペインの高速列車と言えばAVEが広く知られるが、AVLOはそれの廉価版という位置づけであり、主に国内の格安航空会社(LCC)や高速バスに対抗する存在として運行されている。ただし、高速列車と銘打つだけあり、使用される車両はAVEと同型である。

ホテルからアトーチャ駅までは地下鉄で数駅の距離だ。しばしの間、地下鉄に揺られアトーチャ駅に到着するも、駅構内に人の姿はまばらであった。アトーチャ駅は、列車によってホームへの入場口が異なり(地下階(PLANTA BAJA)と地上1階(PLTA.PRIMERA))、それ故、人の流れが分散されているものと思われる。地下鉄改札口付近に設置された発車標を確認したところ、乗車予定の2096列車は"PLANTA BAJA"との記載。すなわち、地下階からの発車である。
入場口へ向かうと、間もなく手荷物検査場に行き当たる。それもそのはず、Renfeでは保安上の観点から、長距離列車に乗車する旅客を対象に手荷物検査を実施している。ただし、国際線のそれとは異なってただ手荷物をX線検査機に通すのみであり、人体用の金属探知機は存在しない。日本の国内線よりも簡素な、文字通りの"手荷物検査"である。そのため、検査は難なく通過した。「いいのかこれで」との疑念も浮かんだが、実情は如何ばかりであろうか。
手荷物検査を通過し、駅のコンコースに出る。パリ北駅やリヨン駅、ロンドンのキングス・クロス駅のような、広大な空間を期待していたものの、眼前に広がっていたのは日本の駅と酷似した光景であった。どうやら、発車時刻が近づくと改札が開始され、ホームへ入場できる仕組みのようだ。しかし、手荷物検査の効果もあってか他のヨーロッパの駅(特にパリ北駅で感じた)で感じた独特の雰囲気は皆無であり、安堵の念を覚えた。
今回、列車の予約にはOmio(オミオ)というサービスを利用した。Omioは欧州における代表的な列車予約サイトであり、一定の手数料は発生するものの日本語での予約が可能である上、ユーロではなく日本円での決済が可能という利便性を備えている。当初はRenfeの公式サイトから直接予約を試みたがアカウント作成に難渋し(幾度となくエラーが表示された)、やむを得ず利用経験のある(昨年ヨーロッパ渡航の際も利用)Omioを利用するに至った。
コンコースで待機すること20分、いよいよ改札が開始された。日本のような改札機は設置されておらず、係員が乗客一人ひとりの乗車券をリーダーで読み取る方式である。スマートフォン上に表示させた乗車券を提示し、入場する。改札口とホームの間には階層差があるようで、長めのエスカレーターでホームまで下降する。下降の途上、列車を視認した。列車はまるでサツマイモのような、小豆色の車体をしていた。

ホームに降り立ち、事前に指定された号車へ向かい、荷物を上部の棚に収納し、座席に腰を下ろす。座席はベンチとまではいかないものの新幹線ほどのクッション性はなく、少し座り心地の良い椅子、といったところ。ただし、肘掛けの下部にコンセント(C型のみ)が備え付けられている点は評価に値する。列車は定刻より5分遅れの9:05頃、アトーチャ駅を発車した。
列車は駅を発車するとたちまち加速し、瞬く間に200km/h台に到達。スペイン、特にマドリード近郊は乾燥地帯なのか、ドイツやフランスに見られるような森林は一切存在しない。さらに、見渡す限りのオリーブ畑。それ以外の農地はほとんど見受けられなかった(単に見落とした可能性も否定できないが)。
加えて、車窓を流れるのは、濃霧、濃霧、そして濃霧。しかも、それは薄い霧ではなく、視界を覆い尽くすほどの濃霧である。発車時刻が日の出直後ということもあろうが、列車は約1時間にわたり、濃霧の中を200km/h超の速度で疾走し続けた。

やがて列車はコルドバ駅(Córdoba Train Station)に到着。コルドバはスペインの中でも規模の大きな都市(県庁所在地)であるため、ヨーロッパらしい古風な駅舎を想像していたが、これもまたアトーチャ駅と同様に、近代的で清潔感のある駅であった。
どうやら、スペインの駅は到着と出発で旅客の動線が分離されているようで、駅のコンコースへ向かうエスカレーターは1基のみ。手荷物検査を実施するほどであるから当然か、と納得しつつエスカレーターに乗り、駅の外へ出る。駅前には広大な広場が広がっており、駐輪場以外、特筆すべきものは存在しない。観光地の玄関口としては、比較的質素な印象を受ける。
コルドバ駅から、この度の主要目的地であるメスキータまでは、距離にして2km弱の行程である。Google Mapsの案内に従い、当初は大きな公園を擁する大通りを進んでいたが、途中から細い道へ折れ、白壁の家々が立ち並ぶ路地を歩くこと約20分、メスキータ周辺に到着した。

メスキータに到着した時、ちょうど正午を迎えたようで、塔の鐘が鳴り始めた。当初は、ヨーロッパへの来訪を実感する瞬間であったが、大小さまざまな鐘が不規則かつ無秩序に打ち鳴らされるのみであり、美しさとは無縁である。感慨も吹き飛ぶほどの単なる喧騒であった。

メスキータに入り、自動券売機で入場券を購入。しかし、15:00以降の入場券しか残されていなかった。そのため、メスキータの見学は後回しとし、他の観光地を巡ることに。コルドバには数多の観光名所が存在するが、まずは近傍に位置するローマ橋とカラオーラの塔を訪れることにした。
さて、今更ではあるがここでコルドバの歴史を簡潔に紹介しよう。コルドバの歴史は古く、紀元前にまで遡る。当時、コルドバはローマ帝国の支配下にあり、ヒスパニア・バエティカ州の州都として繁栄を極め、これから向かうローマ橋や、円形劇場が建設された。しかし、8世紀にはイスラム勢力の支配下に置かれ、後ウマイヤ朝の首都となる。アブド・アルラフマン1世によって建設されたメスキータは、イスラム建築の最高傑作とされ、コルドバは学問・文化の中心地として世界に名を馳せた。
13世紀のレコンキスタ(スペイン語で「再征服」の意)によりキリスト教徒の支配下に復帰すると、メスキータは大聖堂(カテドラル)に改修されるなど、街はキリスト教文化の色合いを強めていく。ローマ、イスラム、キリスト教という異なる文明の影響を受け、コルドバは独自の文化を形成。古代遺跡、イスラム建築、キリスト教の建造物が共存する街並みは、歴史の累積性を体現していると言えよう。そして、1984年にはメスキータなどが「コルドバ歴史地区」として世界文化遺産に認定され、現在に至る。
メスキータからローマ橋までは徒歩5分と掛からない。ほとんど目睫の間と言ってよい。世界遺産ということもあり、観光客の姿が目立つ。無論、地元である京都の雑踏に比べれば幾分かましではあるが。10年前の京都市内、あるいはコロナ禍の観光シーズン中の京都市内に近い、適度な人出である。

前述の通り、この橋は名前にもあるように古代ローマのアウグストゥス帝時代に架橋された、極めて歴史的価値の高い橋梁である。案内書によれば、12世紀のレコンキスタを主導したカスティリャ王国の「残酷王」ペドロ1世率いる軍勢との戦いにおいて、この橋は町を解放に導くという、非常に重要な役割を果たしたのだという。
この橋梁の構造を詳細に観察すると、16のアーチを有し、それらを堅牢な迫台(せりだい)が支持している。さらに、橋脚には半円筒形の水よけが付帯している点が特徴的である。これもまた案内書の受け売りであるが、この建造物においては「フランス積み」と呼称されるアラブ式の石組みが採用されているとのことである。
しかし、実際に渡橋してみると、他愛のない、ただの観光客でごった返すヨーロッパの橋梁である(あまりに夢のない感想)。ただし、橋梁の中央部には1651年に建立されたラファエル像が鎮座していた。それにしても、この橋梁は賑やかである。観光客の多さもさることながら、大道芸人や音楽家が橋梁の各所で実演を行っている。ギターやアコーディオンの演奏など、その実演内容は多岐にわたるが、こうした光景を目の当たりにし、改めて「海外へ来たのだな」という感慨を覚えた。

そうこうするうちに橋梁を渡り終え、我々はカラオーラの塔へ到着した。カラオーラの塔とは、コルドバのローマ橋防衛のために12世紀に建造されたイスラム建築の塔である。かつては要塞として機能していたが、現在は博物館として、当時のコルドバの情勢やイスラム文化を紹介している。この機を逃す手はないと、入館を決意。入場料は4.5ユーロ。日本語は具備されていなかったが、無料であったため、英語の音声ガイドも借用した。
館内に入ると、古代ローマ時代、イスラム時代、レコンキスタ後のコルドバの状況が再現された展示室が複数存在した。立体模型(ジオラマ)は単に模型として設置されているだけでなく、投影映像(プロジェクションマッピング)と音声を駆使して当時の状況を再現することで、現実感と躍動感に満ちた演出がなされている点が特徴的であり、英語が不得手であるにもかかわらず、展示に見入ってしまった。その他には、イスラム時代の各種資料群が陳列されていたり、メスキータの模型なども設置されていた。ただし、総じて子供への教育を主眼に置いた施設である印象を受けた。塔の屋上に登ると、多くの人々が行き交うローマ橋とグアダルキビール川、そしてメスキータが一望できた。雲一つない、晴天であった。

塔からの景観が予想以上に良好であったため、我々はそこに15分程度留まった。そして、塔を後にし昼食をとった後、いよいよ我々はメスキータへと歩を進めることとなる。
続く
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