贈る言葉あるいは選手宣誓
残りの学生生活も1か月を切った。卒業旅行も終わってしまい、卒業式も目前に迫っている。ぼくは昔から式典とかセレモニーみたいな催し物に興味がなく、なんなら嫌いだった。中学生の頃は卒業式の練習を何度もさせられることに辟易としていたし、今でも式典というものが必要だとは思っていない。校長や市長、PTAや学年代表のお言葉は”お約束”のオンパレードで、その嘘臭さにうんざりだった。(式以外、例えば写真撮影、寄せ書き、最後のホームルームは大好きな時間だった)
けれど格式ばった式典というイベントそのものはつまらなかったとしても、小学生と中学生を、中学生と高校生を、高校生と大学生を、子供と成人を、そして学生と社会人を区切る日として式典は大きな意味を持っていると思うようになった。
軽く、中が空洞な竹が、それでも丈夫に高くまで成長できるのはいくつもの「節」を持っているからだ。人にとっても、死ぬまで続く人生に、竹のように等間隔とは言えずとも「節目」を作っていくことは丈夫に生きていく上で必要なことなのかもしれない。
無理に感傷的になる必要はない。だってそれらの区切りなんて社会が勝手に作ったものだから。けれど連続する日々や人生の、ある期間に名前を付けて区切り、「節」を作るその為にこれまでの退屈な式典は存在していたのだと思えばこれから訪れるそれらが少し楽しみになった気がした。
大学の卒業式は大学生の終わりと共に学生人生の終わりを告げるものでもある。これまでぼくの人生の大半の期間に親と学校と先生がいた。それが「学生」ということだから。時にはそれらの存在に嫌気がさすこともあったけれど、親や学校や先生といった存在にぼくは守り育てられてきたのだということも今ではよくわかる。タイやペルーで見たストリートチルドレンにとっては想像することさえできないような綺麗で清潔で安全な環境でぼくは生きてきた。なんて恵まれているのだろう。明日を楽しみに毎日眠りにつけることも、誕生日にはケーキを食べるのがお約束であることも、将来自分も家庭を築きたいと願えることも、今日あったことを電話してでも話したいと思う親友がいることも、どれも当たり前のことではない。けれど当たり前ではないと頭では分かっていても時として感謝を忘れてしまう日々がある。そして海外旅行やニュースなどでより厳しい世界を生きる人たちの人生を目にする度に、ぼくのこれまで歩んできた人生がとても恵まれたものであることを意識し直す自分の狡さにねばついた罪悪感を抱く。幸せを相対的なものとしてではなく絶対的なものとして感じることのできる人になりたい。しかし「それらを”当たり前”として捉えてしまう瞬間があること」自体が貴重で尊いものであるということも事実だ。ありきたりな日々を支えている要素の数多くはありきたりではないのだということに自分で気付ける人でいれますように。
そしてぼくはその安全圏からそろそろ出ていかなければならないみたいだ。就職をするという決断をした。大阪で一人暮らしをすることも自分で決めた。この居心地のいい環境から一歩外に踏み出してみることを決めたのは自分自身だ。それは「そうすることが普通だから」「多くの人がそうするから」なんて理由じゃなくて「外があると知ったから」。
「外」というのは物理的な場所のことじゃない。住む場所や職場といった座標的なものではなくて、「これまでの自分の外側」のことをぼくは意味している。
親と祖母以外にも信頼できる大人がいることを先生が教えてくれた。
同じ人は一人もいないことの大変さをクラスメイトが教えてくれた。
けれどだからこそ、仲良くなれた時の喜びを友達が教えてくれた。
生活圏の外にも世界が広がっていることを旅行と留学が教えてくれた。
想像できることで不可能なことは何もないと映画と本が教えてくれた。
一人では1日だって生きられない弱さと共に生まれたぼくはこれまでの23年で多くのことを知った(つもりでいる)。そしてそれは赤ちゃんがハイハイから立ち上がるようにぼくの見える世界を大きく広げた。大学で英語を習得し、留学に行ったことは特に一大事で、アメリカで過ごした10ヶ月はぼくに「もうどこでも生きていけるんじゃないか」という楽観的な自信を与え、自由の楽しさを教えてくれた。
挑戦すること、冒険すること、苦悩すること、不安を感じること、そしてそれらすべての感情と戦うこと。ぼくは信じている、そんな命を燃やし続ける毎日が人生という物語に彩を与えるのだと。
進学、受験、成人、就職。これまではレールに乗っているだけでやってきた変化はもうこの先訪れない。自分で能動的に変化を作り出さなければいけない人生の段階に入った。そのことを「ついに自分の人生の主導権を得た」と言えるのかもしれない。それはつまり自分で望まなければ新しい場所へ行く必要もないということだ。無理に未知の事柄に自分を晒す必要はなく、安全圏の中で幸福に満ち足りた生活を送る選択肢もある。
ビジネス書や”成功者”はとかく安定重視を低く見る傾向があるけれど、安定を維持することも大変で、決して軽く見られるような態度じゃない。現状維持を目指しているようでは現状は維持できないものだから。同じことを続けること、続けられることは全て惰性的な生き方だと一方的に断定するなんて傲慢なことだ。
けれど「現状」や「安定」には人が「あれしたいな」と思った行動を思いとどまらせる引力があり、それは年月が積み重なるにつれて強くなっていく。積み重なった日々の習慣は時に自分を縛る鎖のように絡みつき、かつて抱いた夢や目標を遠いものにしてしまう。そんな現状を自分で慰めることもできる年齢になったけれど、それは寂しいことだとぼくは思ってしまう。
ぼくらが心地よいと感じる「変化」と「安定」のバランスはそれぞれで、ぼくは自分が変化の方に重きを置く人だとだんだん分かってきた。長くてあと60年間の人生でやってみたいこと、知りたいこと、行きたい場所がたくさんある。そしてそれらは、留学という目標を達したことが次なる目標を生み出したように、一つの達成が次なる目標を連鎖的生み出し、決してゼロになることは無いのだろう。
それとも徐々に自分の限界を知り、世間の常識に塗り固められた挙句、かつては抱いた淡い望みを一つまた一つと手放していってしまうのだろうか。ぼくはそんな”変化”を「大人になった」なんてぬるい言葉で慰めたくはない。たとえ一つ一つは小さかったとしても望まぬ妥協をたくさん受け入れた結果何を守ることができるのだろう。
自ら変化を作り続けることは今ぼくが想像している以上に困難なことなのだと思う。こんなことを書きつつも、もしかしたら今ぼくが変化を好むのは自分がまだ若く体力があるから、なんて単純な理由によるものなのかもしれず、40、50代になった時には大きく考えが変わっているかもしれない。もしそうならその時はこの文章でも読み返して「こんなときもあったなぁ」と懐かしむことにしよう。未来は想像しえない。もしかしたらここに滲み出る若さ故の楽観さに、将来の老いた自分がエネルギーを貰うかもしれないじゃないか。
ぼくは生来チキンな性格で、「やった後悔」より「やらなかった後悔」の多い学生時代を過ごしてきた。小学3年生の頃、描いた絵が賞を獲り「明日全校集会で名前が呼ばれるから前に出る準備しといてね」と言われた次の日にそれが嫌で学校をずる休みしたこと。小学5年の頃、仲の良かった友達が生徒会選挙の応援演説をしてほしいと頼んでくれたのに体育館の舞台上で話すのが怖く断ってしまったこと。中学2年生の時に「評議委員をやってみれば?」と担任に進めてもらえたのにもかかわらずクラス会で手を挙げられなかったこと。中学生の卒業式にずっと好きだった友達に「一緒に写真撮ろ?」と声をかけられなかったこと。高校1年の文化祭でクラスTシャツを作ろうとしたけれど担任に「前例がないからダメ」と言われてすぐに諦めてしまったこと。そのあと自分が3年生の時に1年のあるクラスが許可なく文化祭当日にクラスTシャツをみんなで着て来て怒られていたのを見て「自分も最初から先生の許可なんて得ようとせずに勝手に作ってしまえばよかった」とすごく後悔したこと。
当時の自分に何が足りなかったのかと聞かれれば迷わず「勇気」と答える。小学生の頃からずっと、文化祭のステージに立って大勢の人の前でパフォーマンスできる友達やクラスメイトに「すごいなぁ」「いいなぁ」と羨望の目を向けていたことを思い出す。今ならスポットライトを全身に浴びて舞台で輝いていてた彼らだって不安を感じたり緊張していたのだろうと想像できる。けれどあの時、舞台袖で衣装の早着替えを手伝っていたぼくの目には、舞台と観客以上の距離がステージ上の彼らと舞台袖のぼくの間に横たわっているように映っていた。
今は「勇気」という言葉で『グリーンブック』という映画を思い出す。主人公のピアニストが黒人としてひどい人種差別を受けながらもグランドピアノの待つ舞台に上がっていくシーンが瞼の裏に蘇り、『才能だけでは十分じゃないんだ。人々のハートを変えるには勇気がいるんだ』というセリフが聴こえてくる。勇気が必要な場面でいつも思い出すこのシーンは何度ぼくの背中を強く前へ押してくれたかわからない。なんだかお守りみたいだなと思う。
行動が引き起こす結果は良いことだけではないのかもしれない。けれど良い結果であれ好ましくない結果であれ、いつでも「変化」には、一歩踏み出すための、スポットライトに怯まないための、「勇気」が必要だということを覚えておきたいと思う。
まだ見ぬ「外」にわくわくがあることを知った。
僕がわくわくする為には「変化」が必要で、
変化を作る為には「行動」が必要で、
行動を起こす為に「勇気」が必要。
じゃあ勇気には何が必要なんだろう。
勇気に先立つものってあるんだろうか。
人によって様々だろうけれどぼくは現時点で、自分が勇気を出すためには「安定」と「安心」が必要なのだと感じている。
これは不思議な原点回帰だ。
そもそも勇気が欲しいのは「変化」を作る為ではなかったか。
けれど「勇気」とは「安心安全を離れること」を意味するのだとしたら、勇気の生まれる前提に安定と安心があることは当たり前なのかもしれない。そもそも人の一生だって、一番最初は安心安全な母親の体内から危険一杯の外の世界へと踏み出すことから始まるのだから。ぼくたちはこれまでも何度も新しい環境に投げ込まれ、その度にその場所を自分にとって安心できる場所にしようと一生懸命だった。
新入生、新入部員、受験生、大学生、成人、就活生、新社会人。昨日と今日の自分は全く同じだと自分では思っていても、ある日突然それらのラベルをべったり貼られる日があって、その日から急にそのラベルに合う行動や考え方を期待されるようになる。そんなこれまで半ば強制的だった環境の”変化”は時に救いにもなれば試練にもなるものだった。けれど、それらの押し付けられた”変化”が、一人では1日たりとも生きていくのがままならない”子供”だったぼくたちに生きる力を養うチャンスをくれていたのかもしれない。社会の期待するラベルに従って皆と同じようになる必要は全くない。けれど、自分でそのラベルを剥がせるようになるためには貼られたラベルに従う期間があってもいいんじゃないかとぼくは思いたい。その期間は社会の"レール"に乗った人生なんて揶揄されがちで自分も時にそんな過去を卑下しそうになるけれど、"レール"に乗っていた期間は将来自分で道を引いていかなければならなくなる時期への準備だったんだ。そして何より、ぼくらはその"レール"の上を一生懸命に走ってきた。
大学の卒業式という特別な瞬間が誰しもに訪れるわけではない。さらに、たとえ経験したとして、それに見出す意味は人によって多くの幅があると思う。
けれどぼくは2024年3月9日というその日。遂に、これからはラベルを剥がし、レールを外れ、自分の足で立つことができるかもしれないと思ったんだ。
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