ペルー旅行記②
Capitulo4 到着!
モーテルでの仮眠が全く足りていなかったぼくは飛行機がマイアミ空港を離陸するとすぐに眠ってしまい、目が覚めたのは飛行機がリマ空港に着陸した時だった。スペイン語の機内アナウンスの後に英語のアナウンスが流れる。ここではやっぱりスペイン語が第一言語なんだ。
ひどい訛りの英語を聞き、自分がペルーにいることを実感する。窓側の席に座っていたから外を見ることもできたけれど、ぼくは敢えて見ないことにした。初めて目にするペルーの風景は空港を出た時にしよう。
スペイン語だったらどうしようと心配していた入国審査も、結局英語で1分足らずで終了し、提出したパスポートに入国許可を保証する赤いスタンプが押された。このスタンプがあれば最大90日間のペルー滞在が認められる。多くの人で賑わう免税店を眺めながら歩き、空港のWi-fiに接続すると、ペルー国籍の人専用の列を使い颯爽と進んでいったモハから、「一階出口で待ってる」とメッセージが届いていた。多くの人でごった返す預入荷物受け取りスペースで黒い傷が新たに2,3個増えたスーツケースを受け取って、フロアマップを確認する。
よかった、出口はそんなに遠くないみたいだ。スペイン語の文字の下に控えめに書かれた英語表記を頼りにモハの待つ出口を探した。
迷いながらもなんとか到着した出口でモハと合流することができた。彼のお父さんと妹が車で迎えに来ていて、あと3分ぐらいで到着するらしい。
外は暑いからと、ロビーで待つことにしたけれどエアコンの利きが悪く全然涼しくない。友達と「入国審査どうやった?」「意外と一瞬やったな」なんて話をしていると、急に今まで閑散としていたロビーが混雑し始めた。ぼくたちの後に到着した飛行機に乗っていた人が出てきたのだろう。人々の熱気でロビーの気温が上がり、肌に汗が滲む。体に引っ付くTシャツが気持ち悪い。
「Hola!」「Hola!」
みな出迎えにきた家族や友人とハグを交わし興奮した様子で話し始め、たちまちロビーはスペイン語の喧騒に包まれた。とても賑やかで、「どの国でも空港は別れと再会の場所なんだな」と思った。
そんな何一つ聞き取れない言語が飛び交っているロビーに立ちながら、なぜだかぼくは不思議と嬉しくなっていた。
スマホで家族とチャットをしていたモハが顔を上げ、「駐車場が一杯だからそこの出口まで来れないって。僕らが歩いていこう。トイレ大丈夫?」と聞いてくれる。ぼくらが大丈夫と答えると、「ついてきて」と彼は家族へのアメリカ土産がたくさん入っているという大きなスーツケースを転がし空港の出口へ歩き出した。ぼくたちも慌てて彼の後を追う。遮光ガラス越しに見える外はとても暑そうだ。
空港の大きな自動ドアをくぐると真夏のフロリダに負けないくらいの熱気が体を包みこんだ。駐車場は想像以上に車で溢れ、強烈な太陽光がボンネットに反射し、白く光っていてぼくらは思わず目を細めた。
外の明るさに目が慣れて、あたりを見回すと目に入ってくるのはスペイン語ばかり。日本ともアメリカとも全く異なる光景に色々気になることがあるけれど、きょろきょろしていると一人ずんずん進んでいくモハを見失ってしまいそうになる。
「あっつ!」
横を歩いていた友達はカバンから日焼け止めを取り出し腕に塗っている。
「まさきもいる?」「ありがとう。使うわ。」
ペルーの日差しを甘く見ていたぼくは、そんなにすぐに使わないだろうと日焼け止めをスーツケースに入れてしまっていた。
「空港のWi-fiもう繋がらへんしモハとはぐれたら私ら終わりやんな?」
そういう彼女はなぜかとても楽しそうだけど、本当にその通りだ。
Capitulo5 Hola!モハファミリー
空港の駐車場の出入り口に近づくと、手を振っている男の人が見えた。モハが「あれが父だよ」と教えてくれ、ぼくたちも手を振り返す。
やっと途切れた車の列をダッシュで渡ると、涼しそうなアロハシャツを羽織ったモハのお父さんがやさしい笑顔で迎えてくれた。モハとお父さんがペルー式の挨拶を交わしていると、車から妹も降りて来て車の横で突っ立っていたぼくらに、「Hola」と控えめに手を振ってくれた。ぼくも慌てて「Hola」と返す。初めて口にしたスペイン語だったから、ぎこちなかったのは大目に見てほしい。父親と再会を喜び合った後、モハがぼくらを二人に紹介してくれた。お父さんは英語がほとんどわからないことや、妹の名前はアミダといい、アメリカの高校に留学中、ぼくらと同じようにサンクスギビング休暇で2日前に帰ってきたことを教えてくれる。60歳後半くらいだろうか、白髪で髭のあるモハのお父さんは最初少し怖そうだったけれど、笑った時の顔が優しくて気付けば緊張は解れていた。
それからモハのお父さんの免許証の期限が切れていて警察に呼び止められるなんてサプライズもあったけれど、僕たちの乗った車は無事空港を後にした。
これから自宅まで、40分のドライブだ。
車内での会話もそこそこに、僕らは窓の外を流れるペルーの風景に夢中になっていた。とにかく車の交通量が多い。アメリカに着いた時もそう思ったけれど、ペルーの大通りはより雑然としていた。みな車線があってないような走り方をしている。そんな外に興味津々な僕らを見て、お父さんが窓を下げてくれた。「Thank you」と言った僕をルームミラー越しに見て「Your welcome」と返してくれた。まだ咄嗟にスペイン語が出てこない。
窓が開いたことで、車内を熱気を帯びた空気が通り抜ける。乾燥した風が少し砂っぽい。舞い上がった地面の砂が風に乗って運ばれているのだろう。ふと気づくと、街は街路樹も植わってはいるものの全体的に砂色だ。道路もコンクリートで舗装されている部分もあれば、地面がむき出しの部分も多くある。その砂だろうか。
所狭しと立ち並ぶ建物には、スペイン語で書かれた大きな看板があちこちに見え、読めもしないのに一応目を文章に合わせて走らせてしまう。高い建物は見当たらず、空が広い。
信号が赤になり車が止まる。本当に車が多い。
急に「窓、閉めるよ」と言われすべての窓が閉め切られた。なんでだろうと思っていると、道路の端から人がずらずらと道に出てきた。あっという間に車の周りに人だかりができる。赤信号とはいえ道路、しかも大通りに人が溢れている光景に驚いた僕らに、モハが説明してくれようと助手席からこっちこちらに顔を向けた。けれど僕はそれを聞く前に、窓の外を歩く彼らを見て分かってしまった。
彼らは商売をしている。
背中に大きな保冷バックを背負い、瓶に入ったサイダーのようなものを見せ歩いているおじさん。数本の花を手にこちらを見ている若い女性。バケツとモップを持って洗車しようかと交渉している青年。
炎天下の中、砂埃と車の排気ガスを浴びながら彼らは商売をしている。
空港を出てから多くの露天商を見かけた。屋台もあった。こんなに暑い中大変そうだな、と思っていた。けれど、今目の前を埋め尽くす彼らには腰を据えて商売をする場所もなく、店もない。だから自分の体と最低限の装備を携えて、赤信号で動けない車の隙間を練り歩きお金を稼いでいるのだ。教えてもらったように、首をゆっくり横に振りながら待つ青信号は、とても長く感じた。やっと信号が青に変わり、彼らは道路脇に戻っていく。
エンジンが唸りをあげ、土ぼこりを舞い上げて車は進んだ。
途中、大きなビルが遠くに見え、「あれが父の職場だ」とモハが教えてくれる。低層の建物しかないリマで一際目を引く建物。それを見て10分程経った時、「あのビルに勤めてるって、お金持ちなんだろうなー」と顔を見合わせたぼくらの期待を裏切らない一際大きな家の前で車が止まった。お父さんがリモコンを操作すると、オーク材でできたガレージの壁が持ち上がり天井に収納されていく。驚く僕らをよそに、お父さんは慣れた手つきで車を駐車し、僕らは外に出た。さすが”招待”してくれる家だ。
「ふぅ、やっと着いたね。疲れてない?」1年ぶりの実家に嬉しそうにしているモハが聞いてくれる。
「大丈夫。既にめっちゃ楽しい」と答えながら荷物を下ろしていると、玄関からブロンドパーマのお母さんが出てきた。
「Hola!お帰り!あら、あなたたちね、来てくれて嬉しいわ。疲れたでしょう?さあ入って入って」
ペルー式の、頬をすり合わせ「チュ」っという音を口で出す挨拶と、笑顔で出迎えてくれた彼女は、イメージ通りの”ザ・海外の明るいお母さん”で、車を降りてから始まっていた僕の、小学生から変わらない”友達の実家に行くとき特有の緊張感”は一気にほぐれた。
モハはお母さんと長いハグをして、スペイン語でなにやら話している。その姿を見て、なんだか自分も家族に会いたくなってきた。今ぼくはアメリカにいた時よりも日本から離れた場所にいる。こんなに家から離れてしまって無事に帰れるのだろうか。
「みんな昼食べてないよね?近くのレストランを予約してるから行きましょう」とお母さんがとても聞き取りやすい英語で話しかけてくれた。
「やったー、おなか減ってる!」友達が声をあげる。
「僕もめちゃくちゃ減ってる」
空港で割高のパンを一つ食べただけだった僕らはお腹がペコペコだった。
「でしょう?早く荷物おいて来て!ここからすぐだから」
自由に使っていいと言われた4階に荷物を放り投げ、僕と友達、モハ、妹のアミダとお母さんの5人でさっき入ってきたばかりの豪華な門を出た。
その言葉通り、家から徒歩3分ほどの大通りにレストランはあった。ウェイターに名前を伝え、6人掛けの大きなテーブルに通された。入り口の壁一面がガラス張りの店内はとても明るく、内装はモダンな雰囲気。そして何より、たくさんのチキンの丸焼きが鉄の串に刺されて回転している中央の大きな暖炉が目を惹く。空港からドライブ中に目にしてきたペルーとは全く違う雰囲気だ。
「ここのチキン美味しいのよ。食べられないものある?」
僕らは口をそろえて「なんでも食べられる」と言った。
せっかくペルーに来たのに食べるものをえり好みするなんてもったいなすぎる。これから5日間、なにが出て来ても、なんでも食べ切る心づもりだった。
ウェイターを呼び、お母さんがいろいろ注文してくれる。楽しみだ。
テーブルにナプキンやお皿、カトラリーが置かれていく。グラスが置かれ、最後にとても冷たそうな紫色の液体が大量に入ったピッチャーがテーブルの真ん中に置かれた。「これこれ!」モハがうれしそうにしている。
「これ飲んだこと無いでしょ?チチャモラーダっていうの。ペルーでは定番のドリンクよ」お母さんが皆に注いでくれる。
「飲んでみて」モハが言う。
「うぁあ!なにこれ!おいしい!」
「でしょ、私たち皆これが好きなのよ!気に入ってくれて嬉しいわ」
甘酸っぱくて、後味はいろいろな味がする。これまで飲んだことが無い味で、何かに似ているとも言えない。けれど、冷たくてとっても美味しかった。ごくごく飲める。
チチャモラーダから始まった遅めのランチはその後、トマトとアボカドのサラダ、フライドポテト、そしてメインの鶏の丸焼きが運ばれて、テーブルの上は大賑わいになった。
皆、僕らのために英語で話してくれ、わいわい楽しい昼ご飯を食べ終えた。
お母さんにご馳走になって、来た道を引き返し家まで帰る。
アメリカも含めてここ数ヶ月で一番おいしい料理だった。
家に帰って4階にマットレスを運ぶ。シーツも被せ終わり、いつでも寝転ぶことができるようになった。
「疲れたよね。僕はくたくた。ちょっとだらだらしよう。」そう言って仰向けになるモハを見ながら、僕らはさっきお母さんがくれたペルーのSIMカードを設定する。「5Gで足りるかしら、足りなくなったらまた言って」とSIMカードまで渡してもらった。至れり尽くせりだ。僕らが川の字にマットレスを並べている4階は半分がバルコニーで、出入り口の壁一面がガラス張りになっている。5時を過ぎ徐々に傾く太陽が眩しい。
空港以降初めてつながった電波で、僕は家族に写真を送った。
1時間後、テラスで卓球をしていると、モハの弟と従弟がやってきた。
「Hola!」
「Hola!」
スペイン語でのあいさつも慣れたものだ。
弟は高校生で従弟は僕らの3歳年上。二人ともとっても優しく、英語で話しかけてくれる。ペルーの若者の多くにとって、スペイン語と英語を話せるというのは普通のことみたいだ。
「日本からは中々来れないでしょ?ペルー楽しんでいってね!兄さん、明日はどんな予定なの?○△#&%(スペイン語)に行くんだっけ?」
「実はナスカに行こうと思ってるんだ。彼らが地上絵を見たいって」
「ナスカ!遠いね。僕も行ったこと無いな」
”えー!モハも今回が初めてって言っていたし、ここにいる人みんなナスカの地上絵を見たこと無いんだ!あんなに不思議で魅力的な場所なのに!”と驚いたけれど、僕も京都市出身で清水寺も伏見稲荷も金閣寺も行ったことが無くて、そういうものかと一人で納得した。世界的に有名な場所でも身近にあれば案外行くことが無いのは世界共通なのかもしれない。
お母さんが出してくれたとても甘い謎のお菓子を食べながら、モハと従弟が卓球をしているのを眺めているとあくびが出た。緊張要素だったモハの家族との初対面が無事終わり疲れが出てきたのだろうか。それとも、モハの家族の、優しく、どこかのんびりしている居心地の良い雰囲気に安心したのかもしれない。
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