患者さんたちから学んだ日々

仕事を始めるというのは、あまた訪れる人生の困難のうちの一つだと思う。僕は24歳で研修医になった。高校の同級生の多くは仕事にも慣れバリバリとこなし、彼らが新入社員として社会にでて困難に直面する中、僕はひたすら机に座り、社会に背を向け国家試験勉強というひたすら内向きな作業を繰り返していた。

訳も分からず焦っていた気がする、何者にもまだなれていない自分に。この勉強の先に必ず未来があると信じて親の仇でもあるかのようにひたすら問題集や教科書を読み漁った。

試験を終えて、ようやく訪れた社会は、決して僕が思い描いていたものではなかった。

本当に何もできないのだ。かつてないほどの無力感を味わった。救急車で搬送されてきた患者にとって、自分は医者なのに何一つ分からない。あれほど勉強してきた時間は一体なんだったのか。くやしさや無力感をないまぜにして酒で流し込んでみた。もっと嫌な気分になった。

向き合い続けることでした、光は訪れなかった。何もできない自分でもできることは患者のそばにいることだった。

悪性の病気で不安に苦しむ患者さん、親が面会に来なくなった子供、死が一日一日近づいてくるのをそばで感じている家族

みんなが孤独を感じていた。自分が根本を解決することはできなくても、ほんの少しでも孤独を支えられたらと思っていたけれど、本当は支えてもらえていたのは僕だった。

「先生、無理しすぎないでね!また来てね!」

だが、優しい人にも、若い人にも、平等に死はやってくる。理不尽という言葉を尽くしても尽くしきれないほどの圧倒性をもって迫ってくる。

死んでしまって、命が亡くなってもその時支えてくれて背中を押してくれたことが今も僕を支えてくれています。



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