空間の落とし穴にはまって
馴染みのない街で、カフェを探していた。
待ち合わせに、早く着きすぎてしまったのだ。
「××電気店焙煎所」
Googleマップは、ここが一番近いカフェだと示す。
はて、電気店なのか?コーヒー屋なのか?
不思議に思いながら店に近づくと、若いカップルがちょうど入って行くところだった。
中をのぞいてみると、明るくて、感じがいい。
レジの前に、これでもかと、いろんな食べ物が並んでいるのが見える。
クッキーやチョコレートだけではなく、レジ前商品にしては、大きすぎる食パンまで。
思わず楽しい気持ちになり、店に入ってみた。
感じのよい、メガネの似合う女性がニコニコとしながら、いらっしゃいませ、と声をかけてくれた。
メニューを見ると、コーヒーゼリーやアイスクリームなど、魅力的なものが並んでいる。
迷いに迷い、コーヒーフロートをオーダーして、ガラス張りの道路沿いの席に腰かけた。
目の前のラックには、蛍光灯やコード、テレビスイッチなどが吊るされている。
やっぱり電気屋さんなんだ。
レジ前に並んだ食べ物の雑多な感じと、目の前のラックにかかる電化製品の感じのバランスが面白い。
運ばれてきたコーヒーフロートのアイスクリームをガツガツ食べていると、中学生くらいの男の子と、母親らしき女性の姿が視界に入ってきた。
私は、アイスを食べる手を止めて、つい、じいっと見つめてしまった。
男の子の格好が、実に個性的だったのだ。
へんとか、おしゃれとか、言葉では言い表しがたいスタイル。彼にしか似合わない、彼にはものすごく似合ってる格好をしていたのだ。
しばらくして分かったけど、彼には、精神的に不自由な症状があるようだった。
母親(としておこう)がトイレに入っている間、その扉のすぐ近くで、彼は所在なさそうに待っていた。
ガチャ、とトイレの扉が開いた瞬間だった。
母親がいきなり男の子を厳しく叱りつけたのだ。
今、お店のもの触っていた?
ダメッ!
ダメと言ったでしょう。
勝手に触ったら、絶対にダメなのよ!
え?
私は、いきなりのことで、混乱してしまった。
たしかに、彼が、店の飾りつけにほんの一瞬、誰もが普通にするように、指先で触れたのは見た。
でも、叱るほどのことではない。
その瞬間に、男の子が、勢いよく、
ゴメンナサイッ
ゴメンナサイッ
ゴメンナサイッ
と連呼したのだ。
そして、母親はグッと男の子の手を引っ張って、店の外へと出て行った。
私は、その場にポツンと取り残された。
アイスクリームの浮かんだコーヒーと一緒に。
完全に置いて行かれていた。
数秒前の一瞬の出来事に、だ。
頭より先に、身体が反応して、
私は、ボロボロと、涙を流した。
アイスクリームを目の前にしながら、ただ、ただ、涙を落とした。
悪くない。
悪くないよ、だから、ごめんなさいって言わなくていいんだよ。
涙の後から、ようやく、頭が追いついてきた。
私には、その光景がショックだったのだ。
少し落ち着いてくると、
その親子が如何に苦労しながら、そして、細心の注意を払いながら日常生活を送っているのか、
ちょっと分かってきた。
母親のあの態度は、その表れなのかもしれない。
そう想像すると、違う意味で胸が痛んだ。
さっきまで、わくわくと幸せしかなかった空間。
それをまるで10年前くらいの記憶かのように感じながら、私は、アイスクリームをスプーンでつつき、ゆらゆらするのをぼうっと眺めていた。
まるで、落とし穴のようだ、そんな風に思った。
店の壁にかけられた大画面のテレビは、高校球児たちの暑い戦いを映していた。