編集後記
昨日「理想論」にて、DESPERADOの泉さんとの対談が公開されました。
泉さんは20代の頃からずっと憧れの存在だったわけですが、直接お話しをすることはなく、一昨年、アート系の仕事をしている友人とDESPERADOに伺った際に少しお話しさせていただき、ヨーロッパに残るパトロン制度について教えていただきました。
日本では、パトロンとはあまり良い言葉として使われていない印象ですが、ヨーロッパでは絵画にしても、洋服にしても、音楽にしても、新進気鋭のアーティストにパトロンがいて、売れるまでの間の支援をする文化が今も残っていると。アートに関して言えば、無名な時に才覚を見抜き、コレクションすることが資産形成の習慣として根付いていることもあり、そういう活動が豊な文化を作っていくのだと思います。
日本の90年代も、経済的支援はなかなかない中でも、場所を貸してくれたり、無名でも取り扱ってくれるお店があったり、僕自身もそういう方々にお世話になったことで、当時、たくさんのチャンスに恵まれた印象があります。しかし、2000年くらいからは、売れてるもののみがチャンスを得てより売れ、売れてないものは見向きもされない、つまり、「売れる」という現象を自身で作るまでの資金的体力がないとチャンスを得れない時代になってしまいました。その結果、クリエイターも売れるものを作るようになり、多様性が失われ、文化のコモディティ化が進んだのだと思います。
改めて、パトロンという存在の価値、それは必ずしも経済的支援だけでなく、場所、時間、知識、人脈というリソースを、一人ひとりが本質的に素晴らしいと感じる人に提供し、豊な文化を還してしてもらう。そういう循環が重要だと感じます。
泉さんとの対談の中で、若い人が自分の過去の失敗と似た挑戦をしようとしていることに対して「自分はうまくいかなかったから、きっとうまくいかない。ではなく、自分はうまくできなかったけど、きっとあなたはうまくいく。」と伝え信じることが大切だという趣旨の話しがありました。僕の父はとても尊敬できる人ではありましたが、ずっと「親がした失敗を、子供にさせないことが、人の進化だ」と考えている人でした。若き僕はこれに猛反発していたことを思い出します。今は愛情あってのことと理解はしますが、僕自身は情報速度も価値観も違う背景で生きる僕より若い人が、僕ができなかったことを、どんどん実現していくのだと思います。自分の価値観ややり方を強要するのではなく、その人たちが求めることにしっかりと応えていく。そうすることが多様で豊な文化を産み、若い人たちの合理性を知ることが、自分の思考が老いず、自身の成長に繋がるのだと。