見出し画像

編集後記 “辻下寛人さん”

先日、僕らのグループ会社であるインドネシア法人の30周年祝賀会に呼ばれ、インドネシアに行った。この会社は僕の父親が国内数社の有志と、現地パートナーとで出資し作った会社で、その後30年間、父の友人の一家が経営者として守り続けてくれたのだ。僕自身は当然その会社の存在は知るものの、実はこれまで一度も現地に行ったことがなく、今回が初めての訪問となった。

工場は思ったよりも広く、インドネシア人の特性に合わせたマネジメントや人事制度が整備され、非常に堅実な経営をされていた。祝賀会では経営者一家から改めて父とどのような経緯で工場を作ったのか、そこに行き着くまで、また30年守り続ける中でのたくさんのエピソードを聞かせていただいた。また、現地の資本パートナーも次の代を担う息子さんと同行され、この事業に関わった人達の2代目が一堂に会し、それぞれが未来に抱える憂いを話し、今後、ともに事業を共創できる可能性を話した。僕ら資源の少ない国で製造業を営む身として、資源国家で事業を営む人と可能性を探求できたことは非常に有意義だった。

僕は現在も「未来のために」と理屈をつけて取り組んでいることが多々あるが、正直なところ理屈は後付けで、理屈があってやり始めた訳ではない。何だか、本能的にやるべきと感じ目標は漠然としつつも無我夢中に始めたことがばかりだ。今、寝たきりになってしまっている父に、30年前になぜインドネシアに工場を作ろうと思ったのか、問うても答えは返ってこないが、父もきっと同じように直感的な感性だったのではないかと思う。直感的で理屈が曖昧が故に、そのビジョンに理解を得られず逆風が吹くこともある。中学生時分に父がインドネシア進出をする中で、父のそういう場面を僕も見たこともある。それでも、その本能的な直感に従って、突進していた。

父はこのインドネシアの工場ができてからこれまで、配当や報酬を得たことは全くないのだと思う。僕もこの30年の中では、父や日本の会社にとって何もメリットがないのでは?と疑念を抱いたこともある。だが、30年の歳月を経て、2代目達が集まり、次の時代に向けてタックを組もうと話しをする。その可能性に気持ちを高め合う。実際そういう時間を目の当たりにした時に、30年前に父が未来に向けて投げたボールを、今、僕がしっかりとキャッチした気がした。そして、今僕が未来に向けて投げているボールは未来の誰かがキャッチしてくれるのかもしれないと希望を感じた。

投資という言葉は「資本を投げる」と書く。いくらお金を投じて、いくら回収するか、それももちろん投資ではあるのだが、本質的には、未来に向けてお金だけではない何かしらの資本を投げ、次の世代がそれを受け取り、さらに次の世代へ投げる。そういう循環のことなのではないかと、父の背中から学んだ気がした。

いいなと思ったら応援しよう!