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燃えない恋の日

「まことしやかに」

誕生日は忘れてくれていいよ。わたしが年老いていくのなんか、いちいち思い出さないでいいから。わたしは、水辺へ腰掛けてあなたを待つ。桟橋かどこかよ。二人乗りの手漕ぎボートをはすに見ながら、現れないあなたの姿を水面を打つ雨粒のせいにして、わたしはびしょ濡れ。こんなとき、あなたじゃない誰かが、「入りませんか」なんて傘を差し出してきたなら、わたしは濡れた身体をそのままその人の腕に押し付けて、熱っぽいため息で耳元をくすぐるかもしれない。
あなたに止める権利なんかありゃしない。
だって誕生日のわたしも、だいたいの瞬間のわたしも、同じようにあなたは忘れてるんだもの。
でもそれでいいの。女って美しい光景に弱いのよ。けぶる雨に弱いのよ。
おばあちゃんになっても、一生年は教えないから、あなたはわたしを探してね。
文字通り、その手でわたしを探し当てて。
そんなわがままも言ったりするのよ。
まことしやかに。

「くやしまぎれに」

泣いてる夢をみたんだ。
はらはらと泣いたり、ポロポロと泣いたり、そんな美しく泣くのは、子供の空想の中だけよ。泣いてる夢から醒めると、だいたいわたしはけろりと満たされていることが多い気がする。
あなたがなかなか夢に出てこないのは、もう話したかしら。あなたは、わたしの中で欲望であり、灼熱の国の食を彩るたくさんの赤いランタンなのよ。夜に誘(いざな)う、褐色の肌の踊り子なのよ。火が飛び交う夜のお祭り。
そうそう、満たされた夢の話だった。そんなのどうでもいっか。泣いて満たされる程度の浅い精神なら、わざわざ夢なんて大袈裟な装置を使うまでもない。
国語の教科書に載ってた白い馬が死んだことに涙してたわたしはどこ行ったんだろうね。
ここだけの話、わたしが号泣する夢は、昔の男を暗い路地裏で滅多刺しにする夢よ。
泣けてくるのは満たされてくるからだよ。たまんないよね。案外これって執着の証かし
ら。
だったら、あなたは妬いてくれてもいいよ。
だったら、乱暴に起こしに来てくれていいよ。
くやしまぎれに。

「気もそぞろに」

安いウイスキーなんか買ってカバンの一番奥に押し込めて持ち帰るのは、もちろんわたしが未成年だからじゃないんだよ。
まるでシラフなふりをして、あなたに本音をぶつけようと毎度思うのだけれど、わたしがうっすら酔っているように、あなたも確かに静かなドーピングを続けてるんだ。
恋の味、覚えがあるでしょう。あの夜、口移しに飲んだ琥珀色の液体に恋と名付けた覚えがあるでしょう。
あなたはわたしのたわわな髪に恋したし、わたしの唇を恋したし、また同様に白い肌に恋したみたいだけど、わたしはさらに毒気のある果実を摂取することで、それらをすべて美化したんだよ。
わたし、ちゃんと「やめよう」って言わなかった。
回らない舌とアタマで拒否する演技なんかしたら、あなたの雄の本能に火をつける結果になるって、なんでわかんなかったんだろう。ずるいね、女は。
今日は一転、冷めた目をあなたに向けてる。
気もそぞろに。

「けんもほろろに」

昨夜のあの人の物言いが、あんまり優しくなかったから、少し嫌いになるはずが、今朝起きぬけに白湯(さゆ)を飲んでいたら、やたらとそれが苦く感じられて、嫌悪の感情が積み重なった。
朝ごはんに食べたトマトはしゃりしゃりと青く、まだ食べごろではなかったし、最後の一個を目玉焼きにした卵は壊れて黄身が流れ出てしまった。よくないことが起こるたび、わたしは口の中で小さく呟く。
大嫌い。
でも、まだ「あの人は無垢だから」とか、「あの人は正直だから」とか、弁護に余念が無い自分が一番嫌だ。
あなたはわたしの何かじゃないし、わたしもあなたの中では何者でもない。
そんな考えを膨らませて自分を落ち着けようとする。
つまり特別かどうかって聞かれれば、答えはノーだが、そのノーには注釈が5つも6つもくっついてきて、いちいち読み返すのが面倒なのだ。
「偏屈じじい」と、頭の中であの人を罵倒してみる。
けんもほろろに。

「鼻歌まじりに」

ことが終わると、取ってつけたように、「好きよ」って言ってみる。うそよ、って意味で。
これは、おまじないみたいなもので、好きよって言葉が勝手にあちこち飛んでいかないように、ここぞという場面では、うそよ、の一言に擬態するのだ。
あなたの吐くタバコの煙が、「愛してる」って形に、揺れ動くのを見てぞっとした。あなたの両の眼が、深い穴のようにわたしを呑み込んでいく。
「水、買ってこようか」あなたの口が動くのをみて、ハッと我に返る。うそだ。出てけってあなたは叫びたいはず。
誘惑と情愛、嫌悪と征服。今夜はそういう、アンビバレントな感覚を楽しむはずだったけど、これじゃ台無しね。猜疑心(さいぎしん)でギラギラしているわたしが言いたいのは、こんな二人に優しさなんて火に油を注ぐだけ。
あなたは愛してるとは言わないし、叫んだりはしないし、女が困るほど事後の姿を注視しない。わかってる。わかってるわよ。落ち着いたら、わたしは自分の服をきちんと着て、自分の足で、なけなしの小銭を握りしめ、冷たい水を買いに行こう。
鼻歌まじりに。


「心うらはらに」

酔いしれた、キンモクセイの香りが薄れる頃、恋は終わりを迎える。それはもう決まってるの。季節が巡るように、恋もまた生きて死んで、巡るものだから。
今まで吹いていた風向きが変わった。冷たい秋風があなたの横顔をさっと撫でただけ。
信じられないかもしれないけど、それが終わりの始まりなの。
キンモクセイはあたりを照らす道標みたいに輝いて美しかったけれど、最期に甘い涙みたいな一雫をふわりと風にのせたきり、冬支度に入った。やっぱり、わたしの恋と同じ。
あなたと集めた蜜のような夜を数えて、長い長い絵巻物を手繰る(たぐる)。そして最期を滑稽な詩(うた)で締めた。
わたしたち、また会う約束もするし、お気に入りの仕草も教え合うし、出会いのネタばらしに、恋路のからくり。そして互いの口癖を真似るわ。情熱だけ、消えてしまうだけで、わたしはここ、あなたはそこを動かない。真一文字(まいちもんじ)、美しい線を引けば、そこから先は清廉潔白、わたしの仕草にいちいち意味なんかなくなるし、あなたの言葉に隠された愛もなくなるの。それが、キンモクセイが香らなくなるってことなのよ。
泣いてるの?恋はいつでも出来るけど、思い出を作るのってタイミングが大事なの。
シャッター音がしたら、振り返って笑おうね。
心うらはらに。



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