【百人一首鑑賞】難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや 伊勢
■難波潟みじかき芦のふしの間も逢はでこの世をすぐしてよとや 伊勢
(詠んで味わう)なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや
■現代語訳
難波潟に生い茂る芦
その中でもことに短い芦のその節と節のあいだはいっそう、短いわ
そんな短い逢瀬の機会さえ あなたはつくってくれず
あたしにこのまま過ごせというの?
これっきりだと あなたはいうの? 田辺聖子著「田辺聖子の百人一首より」
■語句説明
・ふしの間も・・・芦の「節」と時間の「短さ」を表す、掛詞。
・すぐしてよとや・・・「てよ」は完了形助動詞の「つ」の命令形
よって「過ごせ!と言うのか?」
会いたい×100
私自身がこの和歌を味わってやはり一番インパクトを受けるのは
「みじかき芦のふしの間も逢はで」
でです。今風に言うと
「仕事仕事で私と向き合ってくれる時間も作ってくれない!!」
「休みの日も会ってくれない!」
とまぁ、お茶する時間ほども作ってくれない、会いに来てくれないことを
嘆いているところです。令和の女性なら
「来ないなら、それはそれでいいわん」
ともなりそうですが。。。
しかし、この「わずかな時間」を表現するのに、なぜ
『芦』という植物を使ったのか。。。
『葦原中原』の国/伊勢のチャレンジ精神
現代を生きる私には「芦(葦)」と言われても
「うーーーーーーん。草っぽいやつ(汗)」
という発想しか出てこないのですが、平安含め古代では
どのような位置づけだったのでしょうか?
実は日本書紀などには日本の古名は「葦原中原」でした。
意味としては「葦ばかり生えている国」。
葦は「悪し」にも通じるので、ヨシという読み方もあります。
いずれにせよ、葦は古代から割とメジャーな植物だったのですね。
あくまで私の想像ですが、平安時代は時計もありませんから
時間の長短を表す表現としてさまざまに身の回りのモノ・植物を使って表現
したのだと思います。
よく見る表現だと「月が傾くまで」とか「花が散る刹那」などですが、
そのなかで「芦」を使って時間の流れを表現しているというのも、
なんとも面白いし、伊勢のチャレンジャー精神を感じます。
和泉式部・小式部内侍・伊勢で 『平安恋に生きる女=(略して)HKO
さて、例によって伊勢とはどのような女性だったのでしょうか?
・伊勢守 藤原継蔭の娘として生まれる
・年頃に藤原仲平と良い仲になるが身分違いの恋で苦しみその後捨てられる
・失恋後一旦大和の疎開するも才を買われて再度宮廷の中宮温子にお仕えする
・なんと!宇多天皇(中宮温子の旦那)に見初められその子を産む→その後皇子は逝去
・宇多天皇譲位後、なんとそのお子さん敦慶親王に見初められ、またまたその親王のお子も出産
これは、、、、
もう、なんとも言えない人生ですね。こんなにモテすぎて息もできないような人生女としてが送ってみてもいいかも、、、と思えます(笑)
百人一首の女流歌人としては小野小町、紫式部なども人気ですが、
私としては、和泉式部・小式部内侍・伊勢の3人衆がなんともいえない
「いい女」だったのでは?と感じています。
まぁ、そりゃ、こんな和歌贈られたら、殿御はたまりませんよね (笑)
※参考資料
葦はよいもの悪いもの?