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読書する人だけがたどり着ける場所

本日はタイトルの通り、齋藤孝さんの「読書する人だけがたどり着ける場所」を読みました。

最近ハマり始めた読書なのですが、読書に対していつも考えていることがありました。それは、読書でどんなことが身につくのか、読書をすれば自分にどんな変化があるのか、ということです。

齋藤孝さんはこの本を通して、そのような疑問の答えはもちろんのこと、読書に対しての考え方も大きく深めてくれました。


印象に残った点をピックアップしてお話しします。


まずは、ネットの情報収集と読書の違いですね。

私はネットでの情報収集を頻繁にしていました。しかし、浅い知識は得られても深い知識を得た実感はありませんでした。さらにそれらの知識は直ぐに忘れ去られる、、、。でも、当時の私はそれで色んな物事を知った気になっていたのが恐ろしい所です。今思えば、友人との会話の中で、触れたことのある知識が出てきたにも関わらず、それについて深いコミュケーションができなかったことは多々ありました。

そのような知識は結局、見て消費しただけであって、何も身についていなかったということですね。ネットで情報収集をしている私たちは、消費者であり、常に面白いものに目移りしてしまうため、1つの知識が深まりにくいということも言われていました。

それに対して読書は、著者とマンツーマンで向き合う。多少退屈な箇所が出てきても、他に目移りすることもないし、その退屈な部分が後に光ったりもする。そうやってどんどん文章を読み進めていけるので、最終的にそれが知識の深みになるかつ体験記憶としても残るそうです。確かに300ページ分もずっと著者と向き合ってたら、そりゃ体験したのと同等の価値を得られますよね、、、。


正直、この本を読み自分が如何に浅い人間になる生き方をしていたかを思い知らされました。自分が浅い人間だということは薄々気づいていたのですが、本に書いていた物事を深める手段をほとんどやったことがなかったものですから、、。深まった気になっているのがやはり一番危険ですね。読書もただつらつらと文字を読んで「はい終わり。」としていたら、浅い教養しか身につかないです。読書は浅い人間にとって、深い人間になるための最もコスパの良い手段だと思いました。読むだけで、歴史上の偉大な深い人の考えや体験に触れることができますので。


次にコミュ力も上がるという点。

コミュ力は認識力が重要らしいです。相手の言動を認識して、的確な言葉を返す。もちろんその言動は文脈や状況によって様々な捉え方ができると思います。読書によって、色んな人の考え方や体験、心情に触れることで、そのようなバックグラウンドを把握しやすくなるのだそうです。

「期待しているよ」と言われて、自分は高く評価されていると捉えることもできますが、低い評価だから激励されているとも捉えることができます。しかし、自分視点しかない人はどちらか一方だと決めつけて、相手の意図とは違う言動をしてしまいます。その時に読書で、自分以外の考え方に触れていれば、どっちの意図でいっているのかを考えることができます。


最後に、齋藤さんはこの本で人生についても語っていました。

私は、お金を稼いでる人間はやはりすごい人間に思うし、有名になったり経済的に成功している人間に劣等感を抱いたこともありました。もちろんそれだけが素晴らしいとまでは思わなかったにしろ、どこかでお金を稼がなければ、下の人間、負けたという風に思っていました。

しかし齋藤さんはこう述べていました。文学は経済的成功とか勝ち負けという次元で成立しているものじゃないんだと。生きることの意味のなんとか深さを捕まえようとしている営みなんだと。

私は人それぞれ生きる意味があっていいし、経済的成功は誰かにとっての生きる意味の1つでしかないんだという視点に気づけたのです。


凄く長くなりましたが、そんな様々なことに気づかせてくれた一冊でした。


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