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ブラジルに移住して50年

私は戦後の食糧難の時代に育ち、今思えば戦後の自虐教育を思い切り受けたこともあって「こんな食料も無い、罪深い国なんかは捨ててブラジルへ行こう」と思い、20代で移住しました。(50年前、1970年代の話です)

しかしブラジルの農村に入ってみて、文盲でトイレもない家に住む白人や奴隷の末裔たちを見ているうちに、日本人はずいぶん立派な民族なのだと、自然に思うようになっていきました。

最初に住んでいたパラナ州マウアは、良質な大豆種子の生産地として発展し、郡の耕作地の7割以上を日系農家が持っていて、毎年近隣の郡の土地を買い足して営農規模を広げていました。

ブラジルの人権弁護士が「何で日本人ばかりが土地を持って、我々ブラジル人は貧乏しているのだ!」と扇動しないよう注意はしていますが、この日系の祖父たちが築いた大きな資産は、教育をセットにして次の世代に渡してやらないと維持が難しいと思っています。

そこで私は、日本語学校で日本語や日本文化を教えてきたのですが、いったい日本文化とか日本精神のどのあたりをいかに伝えればよいか、教師としてはいつも気になり、悩んだり、数少ない本を読んだりして勉強しておりました。

教師を辞めて時間も出来たので、ネットで日本語のコンテンツを視聴するようになると、今までの疑問が次々と解けていくような思いがして、貪るようにYouTube動画を視聴しました。

特に日下公人氏の話(林原チャンネル)などは、宇宙船から日本を俯瞰しているようで、ちょうど私が地球の裏から祖国を眺めているのと似た感じがしました。

「日下公人のひとりがたり」#1 https://youtu.be/2nPq91ypI30

それで林原チャンネルに投稿しましたら、高谷プロデューサーが日下氏の本を贈ってくださったので、ますます親しみが湧きました。この歳になって、インターネットのおかげで日本の方と交流ができることに喜びを感じています。

日本に生まれ、日本に住み、日本人だけと日本語だけで暮らしていると、日本の長短がよく見えないのでは、とも思っています。

今、海外在留邦人は130万人いるそうですから、私だけでなくそんな方々が、海外から見た日本の姿を母国の人々に伝えるのも意義あることではないかと、少しだけ思っています。

私の文章がそんな世界中の日本人たちの一助になれば幸いです。

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田附正甫(Masaho Tazuke)

ブラジル、サンパウロ州。モジ・ダス・クルーゼス市、通称モジ。
私の住む街。移住して50年を過ぎました。(生まれは千葉の匝瑳市です)
ここはブラジルで最も日系人の多い町であり、混血を入れると6、7万人ぐらいが住んでいます。
州都サンパウロへ供給する野菜の生産地として発展してきた歴史があります。
移住した日本人が多種多様の野菜等を栽培・開発し、ブラジルの食卓を豊かにしたと言っても過言ではありません。
私は現在78歳の元日本語教師。地球の裏側から日本語のYouTube動画を視聴する者であります。孫は3人います。


お読みになって頂きありがとうございます。宜しくお願い申し上げます。