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農耕民族の悲しい宿命 〜日本人の行く道〜

私が最初に入植した日系のコーヒー園には、百頭ほどの肉牛と数頭の乳牛がいて、ブラジル人が一人で世話をしていました。

肉牛は夜も放牧したままですが、牛舎にいる乳牛には朝餌をやりながら乳搾りをして牧場に放すと、もう夕方まであまり仕事はありません。
それで牛飼いは、特に用事がない日は馬に乗って町へ遊びに行っていました。
支配人は「牛飼いは怠け者だから、どこの農場でもあんなもんだ」と、気にしていませんでした。

農耕民の日本人は、朝から晩まで野良仕事をやるのは当たり前で、特に水田は水の管理などに注意を払い、色々と手をかけてやるほど良い収穫が得られます。

一方、畑にならないような乾燥地帯に住んでいた遊牧系の民族は、石だらけの土地でも草は沢山ありますから、草を家畜に食わせて大きくし、人間はその家畜の乳や肉を利用していました。

牧畜民としては、いかに良い草が茂った所へ自分の家畜を連れて行くか、それと家畜が病気に強く粗食に耐え、生長が早い品種かどうかが決め手で、あとは群れが迷い出ないよう注意していれば良かったのです。

良い草も生えない乾燥地帯の人々は、交易をしたり、時には馬に乗って農耕民の村を略奪して回ることもありました。

ですから農耕民企業の東芝が、大陸の牧畜民に略奪されて痩せていく構図は、開国以来ずっと続いている<農耕民族の悲しい宿命>だとも言えましょう。

ブラジルに来た中・韓人は誰も農業をしませんし、イスラム圏の人やユダヤ人も肉体労働を嫌います。
農耕をしない人たちは商業民族ですから口は達者です。

一方の農耕民のDNAは口下手で交渉下手ですから、ブラジルに来た日本移民も彼らと交渉をしても敵いません。

【今日の名言】
「私は農夫のように土を耕すためにではなく、黄金を求めてやって来たのだ」
フェルナン・コルテス(中米の征服者)


※編集協力:和の国チャンネル
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