見出し画像

日本の統治政策、白人の植民地政策とは正反対(韓国の場合)

オランダはインドネシアの子供の就学率を3%に抑えてきたが、日本軍は3年で15%にした。
それを我々は戦後30年間で75%までにした。
by スハルト元インドネシア大統領

昔は奴隷に読み書きを教えることは禁じられていたそうです。
余計な知識を持って主人に反抗したりしないように、という理由からですが、英国の植民地政策もインドの上層の人間だけに英語を教えて、一般のインド人に対しては愚民政策をとりました。

ところが日韓併合(1910年〜1945年)では、「何でも教えてやるから自分達で好きに勉強しなさい」という基本方針のもと、教育に力を入れることになりました。

当時の朝鮮には支配階級の両班(りょうはん)の子弟に漢字を教える学校は100校ぐらいありましたが、一般の子供にハングル(韓国語)を教える学校は廃れてしまっていました。
そこでハングルの教科書を東京で印刷し、日本が次々と新しく建てた学校で使用したそうです。

その結果、日本統治時代の35年間に、朝鮮の全市町村に作った国民学校は5213校を数えるまでになったと記録されています。

その他にも師範学校や農林学校を作り、さらに京城帝大、台湾には台北帝大まで作ったそうですが、この二校は阪大や名大より先に建てたといいますから、これはイギリスがインドにケンブリッジやオクスフォードの姉妹校を作ったのと同じことになります。

これほど日本の統治政策は白人のそれとは正反対のものでした。

今日EU各国は、自分達がかつて統治した植民地から押し寄せる難民に困っています。

その原因の一つは、かつての植民地の人々に教育を与えてやらず、植林などの産業を育てて自活の道を作ってやらなかった結果だとも言えましょう。

「私は貧しい農家に生まれたので子供の時から家の手伝いをしていた。
ある日警察が来て、子供を学校に出さない親は罰する、と言って回ったので、それで私は学校に行くことになった。
成績が良かったので日本人の先生から“お前は(授業料免除の)師範へ行くように”といわれ大邱師範学校へ行き一時教師を勤めていた。
その後軍人を志し、新京の満州陸軍士官学校に入学。卒業後は日本の陸士へ留学することができました。
私は日本の統治がみな悪かったとは思っていない。」
朴正煕(パク・チョンヒ)元韓国大統領の言葉


※朴正煕(パク・チョンヒ)
1963年から1979年まで大統領(第5代から第9代)を務めた。
彼の時代から約30年間にわたって『漢江の奇跡』と呼ばれる高度経済成長が実現され、韓国は世界最貧国の層から脱したと評価される。
日本名は高木正雄。1979年、側近に暗殺され死去。
朴槿恵(パク・クネ)の父。

【今日の名言】
無病の人は精神的に不健康である。

(人の病苦を理解できない)


※編集協力:和の国チャンネル
https://wanokuni.me/

お読みになって頂きありがとうございます。宜しくお願い申し上げます。