日本の兵隊は何故強かったか
私がいたブラジルの農場に、ミッドウェー島攻略のとき輸送船に乗っていた元輜重兵(しちょうへい:軍需品の輸送・補給を任務とする)がいました。
彼の話では「自分たちは最初のころ毎晩殴られたから、それを思うと夕飯も喉を通らなかった」と言っていました。
古参兵が「お前たちの娑婆気を抜く」と言って、甲板掃除用の、ロープを短く切ったもので尻を叩くのだそうです。
ですから兵営でも、就寝ラッパの節に「♪兵隊さんは可哀想だナー 夜る寝て泣くんだヨー」という歌詞が付いていたそうです。
米軍でもブラジル軍でも隊内での暴力は多少はあるでしょうが、日本ほどではないと思います。
新兵に対して毎晩酷い制裁を加える目的は、喧嘩慣れしていない大人しい日本人を、平気で人殺しができるような兵隊に改造するためだと言われています。
人間というものは毎日殴られていると思考力が麻痺してしまい、いくら大人しい臆病な男でも、命令されれば何でもやれるようになるのだそうです。
子供の頃よく、手毬歌、数え歌を聞きました。
一 一列談判(らんぱん)破裂して
二 日露戦争始まった
三 さっさと逃げるはロシヤの兵
四 死んでも尽くすは日本の兵」
また戦陣訓には、
「生きて虜囚(りょしゅう)の辱めを受けず 死して罪科の汚名を残すこと勿れ」と書かれてあります。
それを叩き込まれた兵士たちは、故郷の親兄弟に恥をかかせないよう、そして妹が嫁に行けないような事にならないよう、自己犠牲をいとわなかったのでしょう。
終戦の年の8月20日早朝、樺太(からふと)の真岡郵便局にソ連軍の銃弾が飛んでくるようになり、死を悟った電話交換手の女性たち10名は青酸カリを飲んで自決。9名が死亡した。
国の為に命を懸けて任務を遂行しようとした責任感は女性ながら崇高とされ、今は靖国に合祀されているそうです。
【今日の名言】
良く働いたものが良く眠るように、良く生きた者が良く死ぬ。
画家 中川一政
※編集協力
和の国チャンネル:https://wanokuni.me/
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